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【押川剛;50歳からのキャンパスライフ】12 つらなって生きる

ほとんどやっつけで臨んだ大学の期末試験がようやく終わった。コロナウイルスのせいか、大学も街も、心なしか閑散としていたなあ。

初期対応は個人の責任

コロナ騒動により、日本は未知の脅威に対して思い切った「初期対応」ができない国であることが露呈した。これには、法的根拠や制度の不備に加えて、国民性もあると思う。ニュートラルを気取るあまり、「周りの顔色見てから決める」「とりあえず右ならえ」、あげく「チャレンジして失敗するくらいなら、現状維持」……、そういうメンタリティがこびりついている。

このままいくと、いろんな分野の諸問題に対して、国や自治体は現状維持をダラダラとひっぱり、一般市民はいよいよ「ヤバい」段階になって初めて現実を思い知らされることになるだろう。

俺の現在の活動拠点である北九州市も、災害の少ない安全な街であるにも関わらず、人口減が止まらない。北橋市政になった2007年から現在までに、5万人近くも減っている(約98.7万人→約94万人)。とくに若い人の定着率が低い。お隣の福岡市とは雲泥の差だ。財政難は言わずもがなで、このままでは夕張市のように財政破綻するとも言われている

首都圏に住んでいると分かりにくいかもしれないが、実際に地方で生活していると(おまけに地元の大学なんかに行っちゃうと)、「衰退」を肌で感じる。

たとえば俺の幼馴なじみは、手に職をもち、親の代から地域に根を下ろし、自営で働いている。職種としては絶対になくならない仕事だ。でも数年前から「このままではいかん」と言い出し、最近はとうとう「10年後どうなっているか、わからん」と言うようになった。地元に根差して生きているからこそ、「人」が集まらないことが直接的な打撃になっている。当然のことながら、

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