【押川剛;50歳からのキャンパスライフ】1 自己責任と不知の抗弁、そして犯罪

今春から大学生になった。

去年の秋に、若い兄ちゃん姉ちゃんの推薦試験に混じって、俺は面接だけの社会人選抜の試験を受けたのだ。今さら学歴が欲しいわけではないが、50歳になったことだし、「いっちょう新しいことでも始めてみるか!」と思ったのだ。

学部は法学部だ。俺は20代のとき、素晴らしい弁護士の西幹忠宏先生に出会い、個人的に法律を学ぶ機会があった。先生は「法律の細かいところなんかは覚えなくていい。法感覚、『法感』を学びなさい」と言って、十年にもわたり指導をしてくれた。

その後も独学で勉強を続けてきたが、ここらで一度、基礎を学んでみる気になった。親しくしている世界的エコノミストの小林由美先生が、「科学技術革新のスピードに比べて法の整備がまったく追いついていないので、法を学ぶのはいいと思う」と背中を押してくれたのも大きい。

そしてもう一つ。こっちの方が理由としては大きいのだが、今の若者たちが何を考えてどう生きているのか、学びたいと思った。今までも、仕事を通じて年下の人たちとの出会いはたくさんあったが、みんな成長して30~40代といい年齢である。10代20代の学生と机を並べ、学問を学ぶうちに、新しい発見があるんじゃないか。

まあ、学生ちゃんたちにしてみれば、俺なんて「お父さん」の年齢だからな! そう簡単に仲良くはしてもらえないだろう。入学式でもガイダンスでも浮きまくりだったよ(笑)。

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※さっそく「ぼっち」で花壇を眺める押川くん

自己責任と不知の抗弁

さて、【押川剛;50歳からのキャンパスライフ】シリーズでは、学校生活を通じて感じたことを率直に書いていこうと思う。第1回目のテーマは、「自己責任と不知の抗弁、そして犯罪」だ! 

入学式とオリエンテーションでビックリしたのは、とにかく大学側から「自己責任」を連発されたことだ。「自由を与える代わりに、すべで自分の責任です」「中高生とは違うシステムに身を置くという自覚をもってください」「こうして説明があるだけでもありがたいことだと思ってください」等々、繰り返し教えを受けた。

それから「不知の抗弁」という言葉。英語の諺「ignorance of the law does not excuse」(不知の抗弁は抗弁とはならない)に由来するもので、日本では刑法第38条第三項にある「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる」を指す。

たとえば、学生への通知は主に学内の掲示板を通じて行われるのだが、学生には必ず確認する義務があり、「知らなかった」は通用しませんよ、ということだ。掲示板にもしっかり、「掲示の見落としを理由に不知の抗弁とすることはできません」と書いてあった。

履修登録のガイダンスでも、何度も「自己責任」の言葉が出てきた。履修登録で分からないことがあったので学生課に尋ねても「履修ガイドに書いてあるから、それの通りにすれば大丈夫です」「書いていないのであれば、(やらなくて)大丈夫です」と言うばかりで、具体的には指南してくれない。「言った、言わない」のトラブルを避けるためだろうが、「自己責任」がここまで徹底されている。

俺が30年くらい前に別の大学に入学したときには(※中退した)、「大人としての自覚をもって」くらいのことは言われたものの、「自己責任」を強いられた記憶はない。実際、困ったときは学生課に泣きつけば、なんやかんや相談に乗ってもらえたし、融通もきいた。

それで思ったのが、未成年から成人に移り変わるこの時期に、これだけ「自己責任」の意識を植えつけられたら、社会に出たときにもそれが軸になるよなあ、ということだ。

たとえば、俺の仕事であるメンタルヘルスの分野では、今やすべてが「自己責任」「家族の責任」にブン投げられている。役所の担当者でさえ、「自分たち(家族)で何とかしてください」と言って、親身になってはくれない。俺はそれが「おかしい」と思うのだが、仮にこの大学の卒業生が役所に勤務したときには、「自己責任、家族の責任なのは、当たり前でしょ」と考えることだろう。

「不知の抗弁」についても同じだ。国も自治体も、国民への支援やサービスについては、その内容や受け方、相談窓口に至るまで、公に告知している。さらにこれだけインターネットが発達した今、「知らなかった」と嘆いても、誰も同情はしてくれない。

改めて考えたことだが、行き過ぎた「自己責任」は、究極の「無責任」を生み出す。とりわけ日本は長く「暗記教育」中心でやってきて、「思考する」土壌が成熟しているとはとても思えない。大人でさえそんなレベルなのに、まだ右も左も分からない学生ちゃんを捕まえて、高らかに「自己責任」を投げつける。そして「自己責任」を言う大人の側に、「責任を取る」という姿勢は皆無なのである。ほとんどパワハラだ。「自己責任」は、情報弱者をはじめとする弱き人々をますます地に落としめ、格差社会を一段と飛躍させる。その殺伐とした「自己責任」の原点を、俺はキャンパスで一人、感じてしまった。

しょっぱなから「犯罪」の話で、おじさん驚愕!

それからもう一つ驚愕したのは、学内外の「犯罪」に関する注意喚起である。

まず薬物乱用防止。パンフレットが配られ、ピエール瀧コカイン事件の最中、所轄警察署生活安全課の警察官が登壇し、講話をおこなった。とくに大麻の乱用が増えているという話だった。その後、昼飯を喰っていたら俺のことを知っているという学生ちゃんに会ったので、薬物のことを聞いてみた。すると「自分の周りにはないが、そういうのがあるっていうのは聞いたことありますね」と教えてくれた。真面目な学生ちゃんにしてみれば、迷惑きわまりない話だ。

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※薬物乱用防止の立派なパンフレット

また、大学周辺の治安の悪さについて、かなり事細かに説明があった。過去の事件として、登下校中の強姦・痴漢被害、ワンボックスカーへの拉致未遂、ストーカー事件、近くの中学生による集団リンチ。アパートの一階はほぼ窃盗に遭うので雨の日は特に気をつけること……。そして一人一個、俺にまで防犯ブザーが配られた。

アブない現場をたくさん見てきた俺ですら、驚愕!である。親の立場なら「入学するの、やめなさい」とでも言いたくなる。こういった負の情報も最初からオープンに伝え、しつこいくらいに注意喚起する。これもまた「自己責任」教育の一環だと教員は言っていた。

大学周辺の治安の悪さは地域性も大きいかもしれない。もともと大学というのは、環境や治安の悪い地域に、環境改善の目的もあって国や自治体が積極的に配置したとも聞く。この大学で起きていることは現代の最先端なのだろうという気もした。大学で学問を修めるにあたっても「危機管理」が求められる。若者たちは、今、そういう社会を生きているのである。

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※ぼちぼち頑張ります!

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精神疾患やその疑いのある患者さんの危機的状況時に、「説得」という手段を用いて危機介入を行い、適切な医療機関につなげる日本の第一人者。(株)トキワ精神保健事務所所長。ジャーナリスト・ノンフィクション作家として執筆や漫画原作も手掛ける。春から大学生にもなりました。