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【押川剛;50歳からのキャンパスライフ】9 自分に合った生き方を探す

後期が始まって一週間が過ぎ、講義もひととおり受けた。前期に比べると内容は格段に難しく、採点も厳しくなる。とくに専門課程(法学)は、予習復習をガッツリ頑張ってもついていけるかどうか…という難関だ!

早くも成績格差が!?

正直なところ、前期を終えた段階で、早くも成績による格差が生まれている。俺も夏休みまでは、「まだ一年生だし、前期にとりこぼしてしまった分は後期で取り戻せばいいだろう」と考えていた。しかし、とてもそんな余裕はなさそうだ。となると、落とした単位はリカバリーできないまま積み上がることになる。定められた単位数を取得しないと進級できなくなる課目もあり、けっこうな綱渡りである。

俺でも「うへえ」となるのだから、若い学生たちはなおさらだろう。何人かの友人と話をしたが、それぞれ、どういう戦略で単位をとって進級するか、頭を悩ませていた。「〇〇の授業は難しいので後期は捨てて、来年に賭けます」「バイトとかサークルとか、やってる場合じゃないですね…」と言う子もいた。

ツイッターでも少し触れたが、この成績格差は、「勉強ができる・できない」だけの話ではない。大学という枠組みに「合う・合わない」もあると思う。

(俺の知る範囲の話だが)成績上位の学生は「本当ならもっと上の大学に行けたが、ワケあってこの大学に来た」という子が多い。目的意識も高く、毎日予習復習するなど、授業を受ける姿勢からして違う。また、コミュニケーション能力も高く、先輩や友達から情報収集をして「とりやすい講義」を選んで受けている。

反対に、コミュ力や情報収集力がさほど高くない学生は、自力で頑張るしかない。前期は学校生活に馴染むので精一杯、という子もいる。中には、「流れで」この大学に来たものの、ポーッとしているうちに、ほとんど単位が取れずに前期を終えた子もいる。

掘り下げると、その学生がこれまでにどういう歩みをしてきたか、ひいては家庭環境も無関係とは言えないだろう。受験の段階ですでに就きたい仕事や学びたい学問への明確なイメージを持てていた子。それに関するアドバイスを周りの大人からしてもらってきた子。そういう子は、「大学で何をするか」のイメージも湧きやすく、一年の前期から心構えも違うのである。

もちろん、成績や学歴がすべてではない。まったく単位がとれていないのに、焦らず飄々としている子もいて、逆にたくましさを感じる(笑)。でも中には、「この世の終わり」みたいに絶望して、学校に来られなくなる学生もいることだろう。

俺が仕事で受けている相談でも、「大学には入学したが、前期の段階でドロップアウト」(→そのまま、精神疾患の発症や長期ひきこもり)というパターンはわりと多い。俺は自分が大学生になることで、その「発端」の部分を目の当たりにしたような、そんな気分である。

今の学生はとくに大変だ。俺の若い頃は、大学の四年間というのは、ある種の「猶予期間」でもあった。人生に迷ったり遊び倒したりして、しょうもない成績でやっとこ卒業しても、「モラトリアム」と許してもらえる空気があった。

しかし今は違う。成績はGPAとかいう仕組みで数値化され、言い訳が効かない。リカバリーのためにガチで勉強しようにも、経済的余裕のない中で通っている学生も多く、バイトもしなければならない。前期の遅れを取り戻し、一発逆転を狙うなら、極貧に耐えてでも死に物狂いで真面目にやるしかない。あるいは、「自分は大学の枠組みには合わない」と見切りをつけて、別の道を探すかだ。

結局のところ、「お前、どういうスタイルで生きていくんだ!?」ということを、18、19で突きつけられるのである。

押川流! 最高の師匠の見つけ方

とはいえ、18、19で生き方を決めるなんて、なかなかできることではない。親では相談相手にならないのが、この年代でもある。だからこそ、「師匠」と呼べる大人に出会えるかどうかは大きい。

俺が昔、大学を中退したときには、担当教授であり恩師でもある唐木先生が「君は学校にいるより早く社会に出た方がいい」と背中を押してくれた。当時は「教授なら普通、卒業しとけって言うだろ。やっぱりおかしなおっちゃんやな(笑)」くらいにしか思わなかった。しかし、振り返ってみても、あのときの選択は間違っていなかった。唐木先生は俺の人間性や将来を見越した上で、「大学をやめろ」と言ってくれたのだ。

唐木先生亡き後も、俺は何人かの「師」と呼べる人に出会い、「本物の知識」を注入してもらった。本物の知識とは、物事の本質であり、世の大人たちがひた隠しにしている不都合な真実であり、現実世界で一番使える知恵でもある

俺が「師」と呼ぶ人たちは皆、俺みたいな若造相手に最初から「本物の知識」を話してくれた。だから初対面の感想はいつも、「このおっちゃん(おばちゃん)、なんかおかしなこと言ってるな!」だった。そのうち俺も学習して、「おかしなこと言ってる大人とは、とりあえず仲良くしておこう!」と思うようになった。それが、俺なりの「最高の師匠の見つけ方」である。

そういう大人は、俺が困ったときにはいつだってスーパーな知恵を授けてくれたが、難しい宿題もたくさん出してきた。厳しいこともさんざん言われた。年食った今でこそ、できることとできないことの取捨選択はするが、若い頃は「この人」と決めた大人の言うことは、1から10まで聞いてきた

1から10まで真剣に聞きつづけた結果、俺のほうが著しく成長してしまい、「もうこの人から教わることはないな」と、疎遠になったひともいる。また、中にはしょうもない詐欺師みたいな大人もいたが、こっちが100%全力で対峙するもんだから、そういう奴ほど「押川はアブねー」と尻尾を巻いて逃げていった。

今の時代、「誰かを師と仰いで徹底して言うことを聞いて鍛錬する」みたいな生き方はナンセンスとされている。でも若いうちは、「親じゃない大人」に導かれ、サポートされることは大事だと思う。そのことが、自分の居場所、あるべき生き方を探すヒントにもなる。誰を師とするかによって、その後の人生が大きく変わるのだ


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精神疾患やその疑いのある患者さんの危機的状況時に、「説得」という手段を用いて危機介入を行い、適切な医療機関につなげる日本の第一人者。(株)トキワ精神保健事務所所長。ジャーナリスト・ノンフィクション作家として執筆や漫画原作も手掛ける。春から大学生にもなりました。
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