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幸せの形「第二章003」

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「高見先生はどんな女性が好みなんですか?」

 診察室に着くまで恋愛話の流れを維持していたので、私はなんとなくこういう質問をしていた。隣に座った涼子も興味深そうに回答を待っている。ここでの席順は図らずとも固定になっていた。眼前の高見先生に女子高生二人の視線が注がれる。

「建前は僕を好きになってくれる女性ならどんな方でも大歓迎ですよ。本音は水準以上の容姿と大きな胸があれば誰でもいいです。そんな感じだな」

 聞くんじゃなかったと後悔しても遅い。涼子はがっくりと肩を落としていた。

「……終わった。やっぱり男は巨乳が好きなのよ。どんなに頑張っても貧乳好きにはなってくれない。どうせ真理亜も心の中では貧乳すぎワロタとか思ってるんでしょ?」
「思ってないから!」
「貧乳がステータスなんて所詮都市伝説だったのね! 見事に騙されたわ!」
「そんな都市伝説聞いたことないから!」

 生ける屍と化した涼子を必死に鼓舞しつつ、私は高見先生に「さっさとフォローしろ」という思いを込めたガンを飛ばしまくる。びくっと怯えた表情を見せたものの、意図を理解してくれたらしく高見先生も援護に回ってくれた。

「そもそも僕の好みなんてどうでもいい話じゃないかな。問題は二ノ宮くんがどう思っているかなんだからさ。すべての男が巨乳好きなんてそれこそ都市伝説だよ。まったく気にすることじゃない」

 ぴくりと反応する涼子。もう一押しですよ高見先生。

「本当? 本当に巨乳好きばっかりじゃないの?」
「ああ、本当だ。現に僕の知り合いに『貧乳を応援しよう友の会』の会長がいるからね」

 どんどん話が泥沼に向かっているような気がする。しかし、ここは高見先生に任せてしまったほうがいいのだろう。涼子も黄泉の国から返ってきたみたいだからね。

「……二ノ宮くん、貧乳好きだといいんだけど」

 私は涼子の肩に触れようとして――手を止めた。安易な慰めはかえって傷つけることになるかもしれない。それだけは避けたかった。

 それにしても。
 どうして涼子は二ノ宮のことでそこまで思い詰めるのだろう?

 考えてもわかるはずがない。恋のできない私に恋する女の子の気持ちを理解することなんて不可能なのだ。それがとても哀しい。
 少し間を置いて高見先生が切り出した。憂いの帯びた瞳で涼子を見据えている。

「それは違うと思うよ。本当の好きっていうのはさ、仮に貧乳好きじゃなくても栗原さんじゃなきゃダメなんだって思わせることなんだよ。思い描いた理想像と異なれば嫌いになる程度なら、そんなもんは最初から全部嘘っぱちなのさ。栗原さんは二ノ宮くんが貧乳好きじゃなかったくらいで諦められるのかい? その程度の思いだったのかい? あるいは想い描いていた二ノ宮くん像と少しでもズレたら彼を嫌いになるのかい?」
「……えっと、そんなことで二ノ宮くんを嫌いになったりしないと思います」

 まくし立てられた涼子は消沈する。高見先生は頭を下げた。

「すまないね。ついつい年甲斐もなく熱くなってしまった」

 だけど。
 高見先生の言ってることは正しい気がする。

 この高校では放課後に掃除が行われている。五つに区分けされた班が一週間のローテーションで回しているので、おおむね一ヶ月のうち一週間が掃除当番となる。しかし私は通院の日は掃除当番を免除されていた。学校側と両親がどのような話し合いを行ったのか定かではないけど、週二回の通院ならともかく、さすがに週四回となると気が重いというか罪悪感を覚える。閉鎖的なコミュニティの裏事情はわからないけど、表面上は誰一人文句を言わないし、むしろ体調を気づかってくれる場合がほとんどだからだ。

 そんな私に訪れた数少ない掃除当番がなにを隠そう本日だったりする。教室の掃除は順調に進んで、あとはゴミ捨てを誰が行うかという状況だった。これが厄介なのである。どういうわけかゴミ処理場は校舎から離れたところに設置されていて、ゴミ捨てに選ばれた者はほかの人に比べて十五分から二十分帰宅時間が遅れることになるのだ。つまり誰もやりたがらない。位置付けは罰ゲームのそれだった。

 だから私は先手を打つ。

「私が捨てに行くから先に帰っていいよ」
「いや、でもこういうのは公平に決めたほうがよくないか?」
「そうだよ。いつもジャンケンで決めてるんだし、負けたら罰ゲームって感じで納得できるもんな。諦めがつくというかさ」

 口々に反対の声があがる。私は受け容れずに語を継ぎ足した。

「だから私が行くんだよ。いつも不戦勝させてもらってるから、参加したときくらいはゴミ捨てに行くべきなんだよ。それが公平ってやつじゃないかな?」
「でも――なあ?」
「うん、小鳥遊さん身体弱いんだしさ。無理させたくないよ」
「だよね」

 みんなが私を心配してくれる。愛されてるなあ。あるいは新手の罠かもしれないけど。

「ゴミ捨てくらいで倒れるような体力じゃないし、本当に私がやっておくから先に帰っちゃっていいよ。話し合いで長引くほうが時間の無駄だからね」

 半ば強引にゴミ袋を持って私は教室を出た。片手で持てる程度の重さなので歩行に支障はない。とにかく距離が無駄にあるだけだ。だだっ広い校庭を歩く。ほどなくしてゴミ処理場に着いた。ゴミを捨てて教室へ戻る。あとは鞄を忘れずに帰宅するだけだ。

 校舎を出て校門をくぐった。
 空を見上げると、すっかり夕方である。

 この時間帯に外を歩くのは珍しいことだった。普段なら家でくつろいでいるか病院にいるかのどちらかである。ぼんやりと夕焼けを観賞しながら帰り道を進んで行く。その先に見覚えのある顔を見つけた。美貌の男子である。

「二ノ宮、あんたこんなとこでなにやってんの?」
「ああ、小鳥遊さん。今日は遅いんだね」

 こちらへ振り向いて二ノ宮は微笑んだ。不覚にも――ちょっと格好いいかもと思ってしまう。たぶんそれは勘違いなのだろうけど。私は誰も好きにならない。

 いや――なれない。

「今日みたいに夕焼けが綺麗な日は、ついつい陽が沈むまで見入っちゃうんだよ」

 二ノ宮は子供みたいに瞳を輝かせている。見渡す先に遮断物はなく、沈んでいく夕陽の全貌がうかがえた。都会ならこうはいかないだろう。

 私は二ノ宮の横に並んで夕陽を眺めた。

「本当に綺麗だね」
「うん」

 夕陽を眺めたまま返事をする二ノ宮。

「青春だね」
「うん」

 いい機会かもしれない。二ノ宮の好みに探りを入れてみよう。周囲の視線を気にすることもないのだ。涼子との約束。ろくな情報を得られなくてもなにもやらないよりはいい。私は夕陽を見つめながら二ノ宮に問いかけた。

「二ノ宮ってさ、どんな子が好きなの?」
「小鳥遊さんが教えてくれたら俺も話すよ」

 二ノ宮に取引を持ちかけられるとは夢にも思わなかった。しかも対等な条件である。

「一生遊んで暮らせるほどのお金持ちで、可能なら男前で、あと二十四時間いついかなるときでも私だけを見てくれるような人かな」
「……それって理想を通り越して妄想だよね? それもかなり悪質な妄想っぽいよ」

 どういうわけか今日の二ノ宮は鋭い。私は肩をすくめた。

「まあ、冗談だけどね。これでもドラマと現実の区別がつく程度には賢明なのよ」
「それくらいなら俺でもわかるよ?」

 きょとんとした表情で二ノ宮が疑問符を頭の上に浮かべる。説明するのも面倒臭いので私は一言で切り捨てた。

「うるさい」
「……うう」

 どんな表情で嘆いているか容易に想像できる。ついでに私は交換条件を行使した。

「教えたんだから二ノ宮も話しなさいよ」
「あの、冗談しか教えてもらってないよ?」

 どういうわけか今日の二ノ宮は本当に鋭い。私は逆切れしておく。

「そんなことはどうでもいいのよ。とにかく二ノ宮も話なさい」

 しぶしぶ腕を組んで二ノ宮は思考する。ややあって、語り始めた。

「んー、理想なんてあんまり意味ないのかも。俺だって事細かに好きな要素を詰め込んだ理想を持ってるけど、たぶん、実際に好きになるのとは違う気がするんだよね。現実はヘコんでるときに優しくしてくれたからとか、困っているときに助けてくれたからとか、そんな些細なきっかけで心をもっていかれちゃうんだよ。それがどんどん大きくなって、あとから考えたらどうしてこんなに好きなのか自分でも説明がつかない。ひょっとしたら好きになったきっかけさえ忘れているかもしれない。恋ってそういうもんじゃないのかな?」

 いつになく二ノ宮は真剣な表情をしていた。

「ふーむ、そういうもんなのかなあ」

 なんとなく私は二ノ宮の持論に説き伏せられてしまう。しかしそう考えると、私の日常は淡々と流れ過ぎているのかもしれない。誰かを好きになるのが不可抗力なら、恋する気持ちを抑制することなんてできないはずだ。次なる被害者が出ないということは、私の日常では恋する過程となる些細な出来事さえ起こっていないのだろうか?

 それではあまりにも寂しすぎる。

「小鳥遊さんってさ、好きな人いるの?」

 不意に――二ノ宮は微笑みながら問いかけてきた。夕陽に照らされて幻想的に見える。

「いない」
「本当に?」
「いないってば!」
「ふむ」

 不思議そうな顔をして二ノ宮は首を捻った。
 私の性格は相当ひねくれているのだろう。ふと誠実な二ノ宮をからかいたくなった。墓場まで持っていかなければならない秘密を告げる。どうせ信じないだろうと油断していた。

「私には好きになった人が死んでしまう呪いがかけられているんだよ。それで過去に二人ほど殺している。だから私は誰も好きになれない」

「そんなこと……あるわけないよ」

 さすがの二ノ宮も動揺している。私はできるだけ真面目な表情を作って語を継ぎ足した。

「冗談じゃないよ、本当の話」
「……そんな……」

 二ノ宮の顔に絶望が浮かぶ。

 というか、笑い飛ばされても仕方ない話をどうして信じようとするのだろうか? バカにも懐疑心くらいあると思うのだけど。

「そんなわけだから、私は人を好きにならないって決めたの。好きになっても苦しむだけだからね。ここへ引っ越してきたのもそれが原因なんだよ」
「そんなの酷いよ、人を好きになれないなんて生き地獄じゃないか!」

 二ノ宮は。
 どうしていつも私に優しいんだろう?
 どうしていつも私の話に耳を傾けてくれるのだろうか?

 次の瞬間。
 ぽんっと手を叩いて、二ノ宮は高らかに宣言した。嫌な予感がする。

「よし決めた! 小鳥遊さん、僕を好きになってもいいよ! 命をかけて受け入れてみせる。きっとなんとかなると思うんだ。なんとかならなかったときはごめんね」

 優しく微笑まれる。
 私は。
 私は。

 バカは嫌いだ。世の中にはどうにもならないことがある。不平等で不公平な世界なのだ。資産数十億円の御曹司に生まれて高級外車で送迎されている人もいれば、借金まみれの家に生まれて毎日のように誰かから逃げなくてはならない人もいる。明らかに均衡が崩れているのだ。抗ってもどうしようもないことがある。

 だから私は叫んだ。

「ああ、うっとうしい。全部作り話だから! いちいち本気にしないで!」
「え?」

 素っ頓狂な声をあげる二ノ宮だった。意味を理解できていないらしい。

「好きになった人が死ぬとか嘘だから!」

 本当は本当なのだけど、それを理解してもらうことはできないだろう。それならば嘘にしてしまったほうがいい。

「ああ、そうなんだ。それはよかった。でもね、死ぬとか殺すとか簡単に言っちゃダメだよ。小鳥遊さんにとっては些細な嘘でも、それを本気にして傷ついちゃう人だっているかもしれないんだからさ。ちなみに俺は傷つきました」

 あの二ノ宮が初めて私をたしなめた。従順な二ノ宮が反旗を翻したのである。それはとても尊いような気がして、私は言い返す言葉が見つからなかった。

「……ごめん。私が悪かったわ」

 自然と謝罪の言葉が零れる。

 心が痛い。胸が軋む。激しい頭痛。喉が枯れる。声が出ない。立っていられない。精神以上に身体は反省しているらしい。ふらふらと私は地面に倒れ込んでしまった。あれ、おかしいな。ちょっと反省しすぎですよ? 意識が薄れていく。

「小鳥遊さん? え、え、どどどどどうしたのっ!?」

 二ノ宮の声がやけに遠く感じた。瞼を開けていられない。
 世界が暗闇に支配された。

「あ、気づいた?」

 状況を理解するより先に聞き覚えのある声が耳に届いた。

「お母さん?」

 うすらぼんやりとする意識の中で問いかける。穏やかな声が返ってきた。

「二ノ宮くんだっけ? 彼が救急車を呼んでくれたみたい」

 ――あ。
 そこでようやく自分がベッドの上に寝かされているんだと気づいた。
 状況からして、いつもの病院なのだろう。
 私は少しだけ寝返りを打った。

「……そう」

 なんか尻切れトンボで別れちゃったな。今度会ったときに、ちゃんと説明したほうがいいかもしれない。二ノ宮なら真剣に聞いてくれるだろう。たとえ突飛な話でも――最後の最後まで。

「なになに二ノ宮くんって彼氏だったりするの? 真理亜って意外と面食いさんだね」

 なにをどう勘違いしたのか、林檎の皮を剥きながら母が茶化してくる。

「違う。ただのクラスメイト」
「えーっ! ただのクラスメイトと放課後二人きりなんておかしいよ」
「そう思うお母さんのほうがおかしいよ」
「ああ言えばこう言う」
「お母さんがね」
「……酷い言われよう」

 ぶつくさ言いながらも母は剥き終えた林檎を差し出してきた。皿の上に盛り付けられた林檎の欠片を一つ手に取る。一口食べた。しゃりしゃりといい音がする。

「これって発作なのかな?」

 もしそうなら私の健康状況はちっとも回復していないことになる。二ノ宮との会話で熱くなって叫んだのが原因だとしても、これほど簡単に倒れるのは正常でない証拠だろう。

「うん。高見先生の話だとね、今日みたいなことが頻繁に起こるようなら一度入院したほうがいいって言うんだよ」
「そっか……そんなに悪化してたんだ。自覚なさすぎたかもしれないね」
「無理はしないほうがいいかもね」

 母の表情に元気はなかった。きっと物凄く心配させてしまったのだろう。

「ごめんね。同じことを起こさないように気をつけるよ」
「うふふ、えらく素直ね。それじゃあ、高見先生に真理亜の意識が戻ったって伝えてくるよ。点滴さえ済ませれば今日は帰れるらしいからね」

 母に笑顔が戻る。立ち上がって病室を出て行った。
 意識が回復したばかりで気が回らなかったのだろう。
 私はこれまでにない見落としをしていた。
 どうしてこのとき、母の発言がおかしなことに気づかなかったのだろう。

 結局、その日は母の言うとおり入院することなく帰宅できた。

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