幸せの形「第二章002」
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二年の夏休みもあっという間に終わって二学期に入った。
「今日のお弁当はタコさんウインナーとミートボールと卵焼きに――」
「あげないわよ」
昼休みの教室である。
私と涼子が昼食を取っていると、ふらりと混じってくる二ノ宮だった。売店に置いてある弁当を持っているので、さっきまで教室にいなかったのは買い物に行っていたからだろう。それにしても、なぜここまで懐かれるかなあ。そろそろ学校の七不思議に含めてもらいたいね。まあ、そうなると残り六つをどうするんだという問題が生じるのだけど。
「今度の土曜日、映画でも観に行かない?」
食事の途中、なんの前触れもなく二ノ宮は提案してきた。
「うん、行こう行こう」
涼子は二つ返事で賛成する。口に入っていた米粒を飛ばしてしまうほど嬉しいらしい。私は失笑。二ノ宮がこちらを向いた。
「小鳥遊さんは?」
「バイト」
「少しも時間取れないの?」
「うん」
半分本当で半分嘘だった。アルバイトという名の例のデートがあるのは事実だけど、まったく時間が取れないなんてことはありえない。要するに涼子と二ノ宮を二人きりにしてあげたいのだ。バファ○ンより優しさの配分が多い自分を褒めてあげたい。
「知り合って一年半の記念だから一緒に過ごしたかったんだけどな。残念」
知り合って一年半ではなく付きまとわれて一年半の記念だ。訂正してほしい。というか、一年半って中途半端だから! どうして一年記念のときに誘わなかったのよ。まあ、誘われても断るので一緒なのだけど。
「そんなわけだから、二人で楽しんできてよね」
私の発言に涼子は顔を赤くした。同時に話をすり替えられる。
「そ、そ、そういえば、なんのアルバイトしてるのかな? 真理亜が働いてるなんて初耳だけど。と、とてもね、興味があるんだよ」
ぎこちなさすぎて逆に面白い。そもそもあれはアルバイトと称していいかどうかもわからない代物なのだ。誰にも話したことがなくて当然である。一考する演技をしてから私は言葉を紡いだ。
「んー、秘密」
「意地悪だなあ。ヒントだけでも?」
二ノ宮が追加攻撃を仕掛けてくる。
無視。
「……」
チワワみたいな瞳で訴えてきても私には通用しません。計画的なんです。
開き直ったのか二ノ宮は高らかに宣言した。
「じゃあ、賭けをしよう。俺が勝ったらなんのアルバイトをしてるか教えてよ。小鳥遊さんが勝ったらどうしてほしい?」
「一億円ほしい」
「あはは、あんまり苛めちゃダメだよ」
冗談と判断したらしく涼子は苦笑している。勝負を申し込んできた二ノ宮は額の汗を拭いながら神妙に考え込んでいた。どういうわけか本気にしているらしい。
「一億円か……すごいリスクだ」
しばしの沈黙。
なにを思ったのか二ノ宮はとんでもないことを口走った。
「よし、その条件でやろう」
生粋のバカである。永遠に沈黙していてほしかった。バイト情報と一億円が釣り合うわけがない。あまりの間抜けさにバカにする気力さえなくなった。
「わかってんの? 一億円だよ」
念のために確認しておく。
「わかってるさ。だから小鳥遊さんも嘘つくのはダメだよ。もし俺が勝ったら本当になんのバイトしてるか教えてもらうからね。嘘ついたら罰ゲームだよ」
そんな真っ直ぐな目で私を見るな! 良心が痛む。
とにかく教えたくない。教えなくて済む方法を考えるんだ!
眠っている脳細胞たちを緊急発動させる。
そうだ、話を逸らしてしまおう。
「というかさ、二ノ宮は私が勝ったら一億払えるの? 払えないなら勝負しないよ」
「払うよ。でも一括は絶対に無理だから分割にしてね。学生のあいだはバイトして月々千円ずつで、社会人になったら月々一万円ずつ、利子がなければ死ぬまでにはなんとかなると思うんだけどダメかな?」
「お前、何年生きる気だよ!」
思わず叫んでしまった。
きょとんとする二ノ宮。
涼子は爆笑している。もうどうにでもなれ! 私は呆れながら肩をすくめた。というか、こいつ、どうやって高校に受かったんだろう?
なにも考える気になれなくて、私はノーリスク・ハイリターンのジャンケン勝負を受けることにした。言い出したのは二ノ宮なのだから詐欺ではないと思う。
「わかったわ。その条件で勝負しましょう」
二ノ宮は小さくガッツポーズを決めたあと思案顔になった。なにを出すか考えているのだろう。無邪気な奴だ。涼子は弁当を突きつつ私たちの動向を見守っている。
「最初はグーでいいよね?」
そう言って、二ノ宮がジャンケンの音頭を取った。
「最初はグー、ジャン・ケン・ポンッ!」
これだけ手に汗握るジャンケンは生まれて初めてだった。内容はともかくね。勝負は一瞬で着いた。二ノ宮はグー、私はチョキ。私の負けである。
一拍後。
「イエス、イエス、イエス!」
二ノ宮が歓喜の声をあげた。
いやいやいや、なんで英語やねん。
思わず芸人風に突っ込んでいる私がいた。
ともかく幸運の女神はバカの上に舞い降りてしまったのだ。諦めるしかない。
「で、で、なんのアルバイトしてるの?」
興奮冷めやらぬまま二ノ宮が迫ってくる。ああ、うっとうしい。しかしここで約束を反故できるほど私は鬼じゃない。涼子も興味深そうに注目していた。なんというか、漁夫の利ですよね。軽く息を整えてから私は忌々しい言葉を吐き出した。
「援助交際」
世界が止まった。
涼子はタコさんウインナーを箸でつまんだまま停止しているし、二ノ宮は能天気に水槽の中を泳ぐ金魚みたいに口をパクパクさせている。言葉が出ないというやつなのだろう。
これはまずい。本能がそう判断した。
「冗談だけど」
瞬間。
「びびびびびっくりしたあ」
大げさに胸を撫で下ろす涼子。タコさんウインナーが箸から零れ落ちていた。
「本当だよ、もうちょっとで値段交渉するところだったよ」
再び空気が凍った。
涼子が絶対零度の視線を二ノ宮に送っている。私は華麗に無視した。
「……嘘だけど」
無視。
「なんか俺の扱い酷くない? 小鳥遊さんの冗談は笑って許されたのにさ」
涼子は黙って弁当を食べ進めている。私もそれに倣った。
「……あの、本当に酷くない?」
無視。
「いや、だってさ。なんのバイトしてるか教えてくれるって約束したよね? 嘘ついちゃダメだって条件だったよね?」
あ。
そういえばそうだった。反省。
しょんぼりとしている二ノ宮に私は珍しく心の底から謝罪した。
「ごめん、たしかに私が悪かったわ。援助交際ってわけじゃないんだけど、週に一回お父さんとデートしてるんだよ。それでお小遣いをもらってる。普通のアルバイトをして私が倒れたら困るからってさ。ちょっと過保護だよね」
「ほのぼのしてて羨ましいよ。私は父親とデートなんて考えられないもん。お金もらっても途中で逃げ出しそう。あるいは戦闘になってるわね」
しんみりと涼子は語った。遠い目をしている。それにしても戦闘って。
「……あはは、あんまり仲良くないんだ?」
「うん。てゆうか、真理亜ん家が仲良すぎるんだって!」
「そうかな?」
「そうだよ」
和やかな雰囲気。一人だけ取り残されている奴を除けばだけど。
なんとなく私は二ノ宮に視線を向けてしまう。当然のことながら目が合った。
「もしもし、しゃべってもいいかな?」
「どうぞ」
イジメを苦に自殺しそうな顔をしていたので無視するのはやめておいた。
「約束を破った罰が必要だと思います」
はい?
「嘘をついたあげく俺を辱めた罰が必要だと思います。罰が必要だと思います」
言いたいことはわかった。でも繰り返さなくていい。
「なにが目的よ? ジュースくらいならおごってあげなくもないけど」
「弁当を『あーん』って食べさせてください」
こいつは。
「あの、あの、あの、その『あーん』係は私じゃダメなのかな?」
油の切れたブリキの玩具よりぎこちない動きで涼子は新世界へ踏み出そうとしている。そこまで露骨な緊張ができるのもすごいと思った。私には真似できない。というか、私の抱く感情は変だ。ときどき自分自身に突っ込みを入れたくなる。
「え、栗原さんもしてくれるの? 嬉しいなあ。じゃあ、大好きなお兄ちゃんを取り合う二人の妹風でお願いします」
「えとえと、大好きなお兄ちゃんを取り合う妹風……大好きなお兄ちゃん……妹風……ああーっ、緊張しすぎて大好きなお兄ちゃんを取り合う妹がどんなのかわかんないーっ!」
落ち着け涼子! そんなの緊張してなくてもわからないから! というか、わからなくていいから! むしろ、そのほうが普通だから!
にやにやしながら至福の時間を待っている二ノ宮。妙に腹立たしい気分になる。しかし約束は約束なので私は覚悟を決めた。
「とにかくウインナーを箸でぶっ刺す」
「はい」
涼子が私の行動を真似る。
「次に二ノ宮の口にウインナーをぶっ込む」
「はい」
強引に口へ捩じ込まれたウインナーを、それでもなんとか二ノ宮は咀嚼している。
「俺の妹たちはこんなドSじゃないんだ、もっとこう甘えたな感じなんだよ」
「もぐもぐしながらしゃべるな!」
そこでふと、二ノ宮の口から引き抜いた箸に目が行った。涎にまみれている。
大惨事だった。
「ちょっと……いや本気で箸を洗ってくる」
そう言って、私は足早に教室を出た。すべては計算通り。計画的に二人っきりの場面を作ってあげる私って偉いなあ。もちろん計画的というのは嘘だけど。
週四回の通院も苦にならなくなっていた。行く必要のない日まで足が向かってしまうほどである。習慣とはなんて怖ろしいのだろう。帰宅部部長を拝命したときのスピーチを妄想しつつ、私は病院への道のりを順調に消化していた。舗装されていない道を歩くのも慣れたものである。ここへ引っ越してきて、もう一年半も経つのだから当然だ。
半分ほど進んだ頃だろう。
「真理亜ーっ、ちょっと待って!」
後ろから走ってきたのは涼子だった。制服のスカートが際どいところまで舞い上がっている。私に追いつくと辛そうに肩で息をしていた。
落ち着くのを待ってから話しかける。
「どうしたの?」
「学校だと話し難い内容だからさ。今日も病院までついて行っていい?」
反対する理由もないので私は首肯する。にこりと微笑んで涼子は私の隣に並んだ。
歩きながら会話を始める。
「二ノ宮のこと?」
予想はついている。おそらく昼休みの一件だろう。
「うん。ほら、週末……デ……デート……映画をね……二人で……観に行くじゃない」
二足歩行型のロボットよりもおぼつかない足取りで歩きつつ、涼子は壊れかけのラジオみたいに途切れ途切れ言葉を紡いだ。肩をすくめるしかない。これほど恋に不器用な女の子はそうそういないだろう。毎週のように好きな人が変わる女の子もいる中で、涼子の恋は無垢で純粋で一途で応援してあげたくなる。
「そのことだろうとは思ってた。で、今日はなにが聞きたいの?」
「あのあの、二ノ宮くんの心を鷲づかみにして私なしでは生きていけない身体にするにはどうしたらいいんだろ? わからない、わからない、わからない、私にはそんな簡単なこともわからないんだよ。助けておくれよ、真理亜!」
「とにかく落ち着いて!」
しどろもどろでわけのわからないことを言い出した涼子を制する。相談以前の問題だ。
「えっとさ、二人で映画を観に行く――デートの内容はこれで間違いないよね? 少なくても私はそう思ってるんだけど」
「うん」
世界中の数ある映画を探しても、涼子の願いを叶えられるものは存在しないだろう。
「いくらなんでもビフォーとアフターに温度差がありすぎると思うんだよ。もうちょっと現実的な指針を与えてもらえると助かるんだけど」
「現実的?」
涼子は小首を傾げた。
「んー、例えば下の名前で呼び合える仲になるとか、手をつないで歩ける仲になるとか、そういう具体的かつ順序的にもありえそうな内容にしてほしいかな。涼子なしでは生きていけない身体にするってさ、もう最終防衛ラインを突破してるような気がするからね」
「よくわからないけど、私は二ノ宮くんともっと親密になりたいのですよ」
さっきからちょいちょい口調がおかしいけど気にしないでおこう。私の心は広いのだ。
ところで。
偉そうに指南役を演じている私なのだけど、よくよく考えれば、二ノ宮の好みを知っているわけでも趣味趣向について詳しいわけでもない。すぐに手詰まりになるのは当然だった。そもそも私を相談役に選んだのが失敗なのである。一年半前から判明している事実だ。
「そういえば、どんな映画を観に行くの?」
「えっと、自称超能力者の少年が宇宙人と戦う話みたい。タイトルは忘れちゃった」
面白いのかそれは? 自称超能力者に勝てる要素があるとは思えないのだけど。
「やっぱり観に行く映画だけで二ノ宮の趣味までわからないよね。仕方ない。近いうちに直接本人に尋ねてみるよ。なにも知らないよりはデートのとき役に立つと思うからさ」
「え、あ、うん。ありがとう」
涼子は曖昧に笑った。
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