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幸せの形「終章」

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 面会時間が終わるまで二ノ宮は病室に残っていた。
 よほど恥ずかしかったのか、ずっと明後日の方向を見つめている。
 それでも傍にいてくれるのは嬉しかった。最期の時間を少しでも一緒に過ごしたい。一分一秒でも長く一緒にいたかった。それだけで幸せな気持ちになれる。不意に二ノ宮が話し始めた。

「俺さ、高校を卒業したら都会の大学へ進学するよ」

 受かるとは思えないけど口には出さない。

「どうして?」
「真理亜が生まれ育った土地を肌で感じたいんだ」

 言ってることがまともだ。構成が破綻していない。
 いや、気にすべきはそこじゃない。
 真理亜って――呼んでくれた。ただそれだけのことが嬉しい。

 ふと思う。
 いつからそんな乙女チックな女になったのだろう。血も涙もないとか、人を人と思わないような目で睨むとか、虚弱な身体とは正反対の獰猛な鷹のような性格をしていたんじゃないのか? どうして好きな人に名前を呼ばれたくらいで浮かれているのだろう?

 真理亜。
 大好きな両親が名付けてくれた名前。
 私の名前。
 私は二ノ宮を見つめた。

「え、あ、いや、キスしたからって急に彼氏ヅラしているわけじゃなくて――」

 しどろもどろになっている。こっちまで優しい気持ちにさせられる。

「――ううん、真理亜って呼んでくれてありがとう」
「うん」

 あたふたするのをやめて二ノ宮は顔を伏せた。きっと勇気を振り絞ってくれたのだろう。
 だから私も。

「春一、私を好きになってくれてありがとう」

 自分の気持ちを言葉に表した。ちゃんと春一に知ってもらいたいから。

「大好き」

 瞬間――春一は顔をあげた。驚いている。きょとんとしているのかもしれない。

 たぶん、私にとって最初で最後の大好き。あいさつ代わりに大好きと連呼しているような人の大好きとはモノが違います。プレミアムがつくようなレアリティなんです。だから覚えておいてください。大切にしてくれなくてもいいんです。ただ忘れないでください。

 それが私の幸せの形なんです。

「俺も真理亜のことが大好きだ! 世界中の誰よりも大好きだぁあああああ!」

 二ノ宮は咆哮した。
 心臓が止まるかと思った。なんとか持ちこたえたけど。
 それからしばらくして、春一はナース連合軍によって強制退去させられた。やっぱり春一はバカなんだと思う。

 その日の夜。
 まさか――こんなにも早く容体が急変するとは思っていなかった。

 今週末が峠だと薄々気づいていた。だけど、まだ折り返し地点の木曜日にも到達していない水曜日なのだ。無理をしたからだろうか? 春一とのことが原因なら私は後悔していない。むしろ会いに来てくれてよかった。大好きって伝えることができてよかった。

 ナースコール。

 きっちりと押せたかどうかもわからない。手の感覚が曖昧になっている。視界がぼやけ始めた。いつもの十分の一も見えない。変な汗が出てくる。頭が割れそうに痛い。身体中が麻痺していくような感覚。病室が騒がしくなった。どうやらナースコールは押せていたらしい。ナースが叫んでいる。あんまり大声出すと追い出されますよ?

 医者とナースに囲まれているのがなんとなくわかる。
 どういう手品を使ってくれたのか少しだけ気分が改善された。相変わらず視界は最悪。だけど聴覚のほうは冴えていた。いろいろな情報が脳へ届く。父と母がもうすぐ来るらしい。はっきりと自分の置かれている状況がわかった。たぶん、私はもう死んでしまうのだろう。だから両親が呼ばれたのだ。ナースの一人が親しい人にも連絡を入れてあげてと言っていたので、ひょっとしたら面会記録に名前と連絡先を記入している人たちも来てくれるかもしれない。

 どれくらい経ったのだろう。
 意識だけで自分の存在を認識しているような状態だった。
 五感がほとんど役に立っていない。

 だけど。
 まだ私は生きている。

 父と母が必死で私の名前を呼んでいる。答えたいのだけど声が出ない。ほかの人の声も聞こえる。ただ、両親の気迫に負けて誰がいるのかまでは特定できない。春一も来てくれているのだろうか?

 わからない。それにこんな姿を見られるのは格好悪いな。でもいてほしいみたいな変な気持ち。もっと一緒に過ごしたかった。あのとき一緒に映画を観なかったことが悔やまれる。デートもしたかったな。春一の喜ぶ顔を想像しながらメイクに気合を入れている私――大爆笑だ。そんなことでウキウキしている自分が可笑しくて堪らない。

 だけど。
 病魔は確実に私の身体を蝕んでいた。さっきより両親の声が小さく聞こえる。唯一の頼みだった聴覚さえ弱まってきている。どうしようもない喪失感。ああ、これが死ぬってことなんだ。

 そう思ったとき――大きな音が聞こえた。新たに誰かが病室へ入ってきたらしい。

 刹那。

「なにやってんだ真理亜っ! 大好きって告白された日に死なれたら縁起が悪いだろ! 死ぬ気で生きろ! 死ぬ気で頑張ればなんとかなるだろ! 残された俺はどうすればいいんだよ! こんなの酷すぎるぞ!」

 本当にバカだと思う。どうしてそこまで正直なんだ。私の両親がいることなんてお構いなしに、春一は全力投球でバカ丸出しの発言を繰り出していた。私だっていろいろ言い返したい。だけど声が出ないんだよ。死ぬ直前だったんだ。それなのにバカみたいに騒ぐから逝けなかったじゃない。

 二ノ宮は叫び続けた。

「俺は真理亜が大好きなんだ! 真理亜も俺のことが好きならなんとか言えーっ!」

 だから私も頑張る。渾身の力を振り絞ってまぶたを開いた。
 ぴんっと緊張の糸が張り巡らされた。
 どよめいている。だけど私の瞳にはほとんどなにも映っていない。薄っすらと人影を確認するだけで精一杯。私がなにか言おうとしていることに気づいたのか、春一は誰よりも近くまで顔を寄せて来た。それに合わせてナースが口にあてがっていた機械を外してくれた。私は大声で叫んだ。

 叫んだつもりだった。
 しかし、それはやっと聞き取れる程度の音量にしかならなかった。

「……大好き……」

 意識が遠のく。なにも見えない。もうなにも言えない。なにも聞こえない。
 命が消える瞬間――それはあまりに切なくて言葉にできそうにない。
 心臓が停止する。

 ◇◇◇

 私の物語はここでお終い。
 バッドエンド?
 それは違うと思うな。

 大好きな人たちに看取られて死を迎えられた私は幸せ者だ。これがハッピーエンドじゃないとしたら、この世にハッピーエンドなんて存在しないんだと思う。

 大好きなお父さん。一度は言ってみたい台詞に「お前に娘はやらん」は入っていましたか? 温厚なお父さんには似合わないと思うけど、婚約者を罵倒したり殴ったりしてみたかったですか? もしそうだったら願いを叶えてあげられなくてごめんなさい。それとね、最後に乱入してきた二ノ宮春一の行為は許してあげてください。お願いします。

 大好きなお母さん。花嫁衣装に身を包んだ私を見せてあげれなくてごめんね。馬子にも衣装って言葉もあるし、結婚式のときだけは参加者の中で一番輝いていられたかもしれないのにね。残念だよ。お母さんが一度も孫を抱きたいって言わなかったのは、私の命がそれまで持たないことを知っていたからなんだね。気を遣わなくてもよかったのにさ。私を産んでくれてありがとう。母であると同時に私の心の友だったよ。

 大好きな高見先生。私の言葉にずっと耳を傾けてくれてありがとう。先生が話を聞いてくれなかったら、私の心は折れていたかもしれません。思っていたより私はデリケートだったんですね。可笑しいったらないですよ。

 大好きな涼子。親友になれてよかったと思ってる。涼子の中でどういう扱いを受けていたのかはわからないけど、少なくとも私の中ではかけがいの存在だったよ。私なんかいなくても涼子はやっていけると思う。だけど、時々でいいから私のことも想い出してください。

 大好きな春一。私を好きになってくれてありがとう。最期に人を好きになれてよかった。もっともっと一緒にいたかったけど、辛いのは残された春一のほうだと思うから、贅沢は言わないことにする。幸せになると約束してください。

 私――小鳥遊真理亜は幸せでした。

 だから。
 いつまでも私の死を悲しまないでください。私は大好きな人たちに幸せになってほしいんです。それぞれの幸せをみつけてください。私の死を不幸として背負い込まないでください。どうか前向きに生きてください。残された人の気持ちがどういうものか私にはわかりません。死ぬほど辛いのかもしれません。

 だけど。
 しっかりと生きてください。

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