幸せの形「第二章004」
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私は二ノ宮に会うのが億劫になっていた。前日の出来事が理由なのは言うまでもない。私が倒れたというのに二ノ宮は先に帰ってしまったのだ。それがわからない。逆の立場で二ノ宮が目の前で倒れたとしたら、きっと私は彼が目を覚ますまで病院に残っていたと思う。こじつけとかじゃなくて本音だ。誰だって目の前で人が倒れたら安否を気にする。それが知り合いなら尚更だ。それなのに二ノ宮は帰ってしまった。
絶対に外せない用事でもあったのだろうか?
わからない。一体どんな顔をして二ノ宮と接すればいいんだろう?
暗澹たる気分のまま、私は通学路を歩いていた。足取りが重い。これは体調的な問題じゃなくて明らかに精神的な問題だ。もやもやした陰鬱な気分。払拭できない疑念。身体も精神もガタガタの状態で教室に着いた。
「あー、来た来た。あんまり遅いから休みかと思ったよ」
憂鬱すぎて遅刻ぎりぎりに登校してしまったのだ。そんな私と対照的に涼子は今日も絶好調らしい。ニヤニヤが止まらないという感じだった。答えは予想できるのだけど、私は気を紛らわせるつもりで尋ねてみる。
「なにか良い事でもあったの?」
「あの、その、週末にね……二ノ宮くんとね……映画を観に行くんだよ」
今にも溶け出しそうな喜び方をしている。ああ、やっぱりその話かと白けてしまう。しかし機嫌を損ねないように相槌を打っておく。触らぬ神になんとやらって言うからね。きっと涼子は週末までこの調子だと思う。元気なのはいいことだけど、ちょっとだけ面倒臭いかもしれない。
「ああ、そういえばそうだったね」
私は鞄を下ろして席に着いた。二学期になってクジ引きによる席替えが行われたのだけど、日頃の行いがいいおかげか涼子とは運良く横並びになっている。そんなわけで、朝のホームルームが始まるまでの雑談相手には困らない。二ノ宮は教壇の真ん前というハズレを引いていた。今は机の上に鞄だけ置かれて空席となっている。
頬杖をついて私は誰もいない席を眺めた。本当に昨日帰られた理由がわからない。母の話によれば伝言もなかったそうだ。相当浮かない表情をしていたのだろう。違和感を覚えたらしい涼子に問いかけられた。
「なにかあったの? とても元気がないみたいだけど」
「んー、昨日ね、発作でちょっと倒れたんだよ」
発作に「ちょっと」なんてないのだけど。
「ええっ! 大丈夫なの学校に来て?」
「うん。ただ同じことが続くようなら一度入院したほうがいいらしい」
「そんな……無理しちゃダメだからね」
涼子は恭しい態度で私の肩に触れた。そこでチャイムが鳴る。
空気の読めないチャイムだと思った。
いつの間にか二ノ宮は席に戻っていた。ほどなくして一限目担当の先生が教室に入ってくる。言うまでもないが授業に集中できる余裕はなかった。
時間は淡々と流れて昼休みになる。
さてさて。
私としては病状よりも二ノ宮の態度が気になっていた。いつもなら休み時間ごとに少しは会話をするのに、今日は昼休みになるまで一度も話しかけて来なかった。意図的に避けられているとしか考えられない。涼子とお弁当を食べながらも、ずっと二ノ宮の動向に気を配っていた。こちらに混ざろうとする様子すらない。
「二ノ宮くん今日は来ないね」
さすがに涼子も不審に感じたらしい。小首を傾げていた。
「私と顔を会わせたくないんだよ」
「ん? なにかあったの?」
もぐもぐと口を動かしながら涼子は不思議そうな顔で見つめてくる。
「なにが理由かわからないんだけど、急に避けられ始めたのはたしかだね。私と一緒にいるとかえって二ノ宮と話せなくなるかもよ?」
ぴたっと停止する涼子。私は彼女の言葉を待った。
「明日からお弁当一人で食べてもらっていいかな?」
「……鬼だ……」
所詮は友情より愛情ですか!
「なんて嘘よん。真理亜がしょんぼりするところなんて初めて見たかも」
そう言って、涼子はケラケラと笑い出した。笑顔は私にも伝染する。一緒になって笑った。しかし笑い事ではないのだ。冗談じゃない。私は二ノ宮の行動に腹が立っていた。理由も知らされずに一方的に嫌われるなんて納得できない。不愉快だ。はっきりさせてやる。
「放課後になったら二ノ宮を問い質してみるよ。なんかこのままじゃ気分が悪いわ」
「……真理亜って身体は弱いのに心は強いよね。弱いのに強気ってさ、平和な時代じゃなかったら一番最初にやられてそう」
ほっとけ。
「でも不思議だね」
「なにが?」
意味深な発言をする涼子を私は無意識に追及していた。すぐに返答される。
「あれだけ適当な扱いを受けても文句の一つも言わなかったんだよ? 急に距離を置くなんておかしいというか不思議というか変な感じがするんだよね」
たしかに涼子の言う通りだった。とても違和感がある。
結局、昼休みは二ノ宮と一言も話さなかった。
問題の放課後。
私は二ノ宮の前に立ちはだかった。相手を睨みつけて宣告する。
「話があるの。逃がさないわよ」
もちろん実際に逃げ出されたら捕まえられないのだけど。
そんな実状はともかく、二ノ宮は観念したらしく首肯した。
で。
病院へ向かう道を私は二ノ宮と二人で歩いていた。こっちの都合で呼び出したうえに、こっちの都合で移動してもらっている。素直に従ってくれる二ノ宮はやっぱり悪い奴とは思えない。私を置いて帰ったのには理由がある。のっぴきならない事情があったに違いないと期待してしまう。
「なんで私を避けてるの?」
速球で直球。変化球で様子を見るなんて面倒くさいし私には似合わない。
「いや、だってさ……その……」
言い辛いことなのか二ノ宮は口ごもった。なにか秘密がある。推測は確信に変わった。
「はっきり言いなよ」
私は詰問する。二ノ宮はたどたどしい口調で話し始めた。
「んと、俺のことを好きになっていいよって言ったら小鳥遊さん倒れたよね?」
「うん、まあ、そうだけど」
事実なので肯定する。
「だから俺わかっちゃったんだよ。小鳥遊さんの秘密」
「秘密? まさか好きになった人が――ってやつ? あれは嘘だって言ったよね?」
実は本当なんだけど、これ以上ややこしくしたくない。
「わかってるよ。そうじゃなくて――」
さて。
私の秘密ってなんだろう? 宇宙人でもなければ超能力者でもないはずなのだけど。時を駆けた覚えもないし、今さら異世界からやって来ましたなんて言うつもりもない。確信を持ってただの人間だと断言できる。
「好きになった人が死ぬんじゃなくて、小鳥遊さん自身が誰かを好きになると死んでしまうんじゃないのかな? だから俺を好きになりかけて倒れた。間違いないと思うんだ」
二ノ宮はアホの子が言いそうな理論を展開した。頭が痛くなってくる。
「だから怖くなったんだよ。これ以上、小鳥遊さんと仲良くしたら本当に死んじゃうかもしれないって。一緒にいたいけど諦めようって思ったんだ」
どういう理屈を用いてそういう結論に至ったかはこの際無視しよう。問題なのは二ノ宮の一挙手一投足にすべて私が絡んでいることだ。彼は私を大切に思ってくれている。
それに対して嫌な気はしない。
だけど。
その理由がわからない。
「あのさ、どうして二ノ宮は私に優しいの?」
「それは――以前に小鳥遊さんに優しくされたからだよ」
そう言って、二ノ宮は微笑んだ。相変わらず整った顔立ちをしている。
はて?
私の記憶に二ノ宮へ優しさを与えているシチュエーションは存在しない。というか、私が誰かに優しさを与えているシチュエーションが思い浮かばない。うわ、よくよく考えたら私ってすごく嫌な性格をしているのかもしれない。
「これ、なんだかわかる?」
おもむろに取り出されたのは薄汚れたハンカチだった。じっくり観察してみる。しかし思い出そうとしても思い出せなかった。
なんだそれは?
「誰かと間違ってない?」
「間違ってないよ。前にも言ったと思うけど、ここじゃ顔見知りがほとんどなんだ。それこそ見たことのない人がうろうろしてたら警戒してしまうくらいに」
「まあいいや、私ってことにしておきましょう。それで?」
「……全然覚えてないんだもんなあ」
くしゃくしゃと髪を掻きながら二ノ宮は嘆息を漏らした。
「入学式の日、学校に向かってたら物凄い勢いで鼻血が出てきたんだよ。そのときティッシュを持ってなくて、ただただ鼻を押さえて立ち尽くすしかなかったんだ。そこに通りかかったのが小鳥遊さんでさ、仏頂面のまま『使って』ってハンカチを手渡してくれたんだよ。あのときは本当にありがとう、おかげで遅刻せずに済んだからね」
「まさか?」
私は二ノ宮が手に持っているハンカチを見やった。
「そう、これがそのときのハンカチ」
にこりと微笑んで二ノ宮は語り始めた。
悪いことが起これば良いことも起こるんだなって思ったよ。
制服が同じだからすぐに高校生だと気付いたんだ。同じ高校なら偶然に出会うこともあるだろう。いつかお礼が言えたらいいなって思った。そしたらさ、教室に着いたらなんと同じクラスに小鳥遊さんの姿を見つけたんだ。これは朝の件もあるし話しかけないといけないって思ってさ。即行で隣の席を確保したんだよ。それなのに小鳥遊さんは俺のことをまったく覚えていなくてさ。なんとか「朝の鼻血野郎」でもなんでもいいから思い出してもらおうと頑張ってみたんだけど、さっぱり通じなくて意地になっちゃったんだよね。
もしかしたらさ。
あっさり気づいてもらっていたら――
「あれ、あんた今朝の通学路で鼻血出してた奴だよね?」
「あ、うん。ハンカチ洗って返すよ」
「いらないわよ。気持ち悪くてもう使えないからさ」
こんな風にして終わっていたかもしれない。同じような罵詈雑言を浴びせられるにしても、俺は今みたいに小鳥遊さんのこと――ってなんの話をしてるんだろうね。とにかく、俺は小鳥遊さんに優しくされたことがあるんだよ。
「だから俺は小鳥遊さんを大切に思ってる。死なせたくないんだ」
二ノ宮は自分の言葉に酔いしれているのか遠い目をしていた。
こんなバカ相手に腹を立てていた自分が可哀想になってくる。憂鬱だ。
とはいえ、このまま変な勘違いをされ続けても困る。
介錯くらいしてやるべきだろう。
「私は誰かを好きになっても死にません。発作は叫んだのが原因だと思うけど基本的に偶然の産物です。それに私は二ノ宮に惚れたりしてません。以上」
「え?」
二ノ宮は素っ頓狂な声をあげた。複雑な顔をしている。面白い奴だ。
「もう一回言おうか? 私は二ノ宮に惚れたりしてません。なんか惚れられてる前提で語り出したエピソードがありましたけれども完全に思い込みです。だから――」
偉い人が言いました。
ツンデレの黄金率は九対一である。
それを意識したつもりはないのだけど。
「今まで通り一緒にいていいんだよ」
二ノ宮はなにも答えなかった。だから私も無言になってしまう。思惑はわからない。
沈黙したまま並んで歩いた。居心地は――悪くなかった。
あれよこれよという間に病院へ着いてしまう。今日だけはもう少しだけ病院が遠くにあればいいのにと思ってしまった。
「じゃあ俺はここで帰るよ、また明日ね」
「うん、また明日」
二ノ宮と別れて病院へ入った。
そこでふと思う。
もし呪いがかけられていなかったとしたら――私は――なんてね。もしもの話をしても意味はない。現実逃避は一週間に三回までと決めているのだ。今は現実を受け止めよう。
私は誰も好きにならない。
翌日。
「ふむふむ。今日のお弁当は卵焼きとミートボールと――」
「あげないわよ」
この展開もどこかで体験したような気がする。日常は少しの変化を除けば大抵同じことの繰り返しだ。それをつまらないと考えるか幸せと考えるかは人それぞれだけど。
場所は教室。時は昼休み。
私と涼子が食事をしていると二ノ宮がふらふらとやって来たのである。
「あの、明日の映画なんだけどね。二人でも観に行くのかな?」
口火を切ったのは涼子だった。昨日の一件もあって不安になったのかもしれない。
「二人きりだと抵抗ある? 俺は栗原さんが嫌じゃなければ行こうと思ってたんだけど」
「あ、違う違う。嫌じゃないよ。二ノ宮くんが行こうと思ってるんなら私は行きたい」
「うん、それじゃあ行こう」
二ノ宮は笑顔を保ちながら弁当を頬張っている。その様子を見て涼子も嬉しそうだった。平凡で平穏な日常が帰ってきたのである。
ところが、ここで丸く収まらないのが現実なのだった。やれやれである。
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