幸せの形「第三章002」
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こんな寂れた高校の文化祭が盛り上がるのだろうか?
去年の私はそう思っていた。ところが文化祭の盛り上がりは尋常ではなく、もはや心配したのがバカらしく思えるほどだった。周囲に一つしかない高校とあって、同じく一つしかない中学生が必ず訪れるらしい。夜になると運動場の真ん中に大きなファイヤーストーム(キャンプファイヤーの学際バージョンみたいなもの)まで出てくる。祭りの一つとして捉えられているのか、家族総出で文化祭を楽しむ人たちも多かった。それゆえに学生たちは気合を入れて文化祭に取り組んでいる。
ちなみに、私たちのクラスの出し物は『焼きそば』だ。
確実に売れる定番メニューらしく、抽選に勝利したクラスが毎年務めることになっている。教室のほかに運動場へ露店を出す予定だ。男子が機材の搬入や露店の組み立てを行っているうちに、女子は材料の調達へ出かける手はずになっている。一つの店で買うのはよろしくないとされているので、近場にある三つのスーパーからそれぞれ均等に商品を購入する予定だ。こういうのも都会ではできない適正ゆえの醍醐味だろう。
スーパーから学校までの帰り道。
三手に分かれているグループの一つに私は同行していた。その中に涼子もいる。
「ねえねえ、高校卒業したあとの進路考えてる? なにをしたいとかやりたいとか全然わかんないんだよね。わからないことを決めろっていうんだからどうしようもないよ」
一人の女子が将来について語り出した。それに応じる声があがる。
「だよね、あと一年で決めなきゃならないんだもんなあ。無理だよ。とりあえず大学か短大に進学して、やりたいことを探すところから始めないとね」
将来の展望。やりたいことを見つける――自分探しの旅。
みんなが「やりたいこと」を探し始めようとしているとき、同年代の私は「やり残したこと」がないかを探している。無茶苦茶だ。苦笑するしかない。
「笑わないでよ小鳥遊さん、私たちはここで生まれてここしか知らないんだもん。外の世界に不安もあるけど期待もしてるんだから!」
「ごめんごめん、そういう意味じゃないんだよ。やりたいことを探すなんて素敵だなって、私にはその発想がなかったからさ」
「むう、なんかズルいなあ。小鳥遊さんはなんでも悟ったような感じで羨ましい」
「うんうん、私らとは違うオーラ出てるよね」
それ死相だと思います。たぶん。
前に高見先生が話してくれたことがある。死期を悟った私は、どこか達観した思考になっているのかもしれない。だってそうでしょう? 死を直前に控えて、どうしてこんなにも落ち着いていられるんだろう。消えゆく命の蝋燭。もっと抗うべきなのだろうか? 無駄だとわかっていても泣き叫んだほうがいいのだろうか?
わからない。
だけど。
今やるべきことはわかる。
「将来を見据えないといけない時期だけど、今だけは目下の文化祭に全力で取り組もうよ。せっかく『焼きそば』やれることになったんだしさ。成功させたいじゃない」
これだけは成し遂げたい。私にとって最後の文化祭なのだから。
「そうだよね、文化祭頑張らなきゃ」
「うん」
「そう言えばさ」
不意に涼子が切り出した。嬉しそうな表情をしている。
「ファイヤーストームのとき告白された人は幸せになれるんだって!」
どこにでもあるジンクス話。そんなものを信じるほうがおかしい。
だけど。
私は。
このジンクスを信じたい。
「告白されたら死んでもいいわ」
ぽつりと呟いていた。どうしてそんなことを言ったのか自分でもわからない。
「やだー、小鳥遊さん大げさ」
「告白されても死んだら意味ないじゃん」
談笑。
目の前にはありふれた光景が広がっている。
だけど私にはもう平凡な日常は存在しない。一日一日が残り少ない貴重な時間なのだ。並んで歩いていた一人の女子が告げる。
「こんなに親しみやすい人だって知ってたら、もっと早く小鳥遊さんと友達になってたのになあ。なんか近寄り難い印象だったからさ」
「そうそう。冗談とか言ったら酷い目に遭わされそうなんだもん」
「……それ、よく言われる」
爆笑される。涼子まで吹き出していた。
教室へ戻ると、男子が匠の技で鉄板やらガスボンベやらを設置していた。こういう仕事に慣れているのか手際がいい。調達してきた材料を机の上に置いて一服する。ただの買い物でさえ、風前の灯と化している私には生死のかかった一大イベントなのだ。ドーピングしてなかったら倒れていただろう。
「おかえりー、けっこうな量だね。重くなかった?」
ジャージ姿の二ノ宮が眼前に立っていた。タオルを鉢巻みたいに使っている。
「まあまあかな。それでも私には大仕事だったけどね」
「無理しちゃダメだよ。小鳥遊さんって想像以上に虚弱体質なんだからさ」
あまりにもいつもどおりで拍子抜けしてしまう。しかし、そうなのだ。 みんなにとって文化祭は文化祭でしかない。それ以上でもなければそれ以下でもない。特別視しているのは私だけなのだ。期待するほうがおかしい。寿命を削ってまで文化祭に備えて来たんです。あなたとの想い出を作るために頑張ってるんです。
それをわかってほしいのか?
なんて傲慢なのだろう。気持ちの押し売りは迷惑にしかならない。子供じゃないんだ。努力すれば結果がついてくるとか、頑張ったら誰かが応援してくれるとか、そんなの全部嘘っぱちだって知ってるじゃない。
「そうだね」
私は苦笑する。期待しても傷つくだけだ。
「どうかしたの?」
不安そうに二ノ宮が私の顔を覗き込んでくる。
正視できなかった。
顔を逸らして無愛想な態度を取ってしまう。
「なんでもない」
「そうは見えないよ?」
「本当になんでもない」
さらに態度を悪化させてしまう。
なにをやってるんだろうね。
なんとなく休憩モードに入っている女子陣に倣って、私は手近にある椅子に腰を下ろした。すっかり二ノ宮ホイホイ扱いされている私の横には、満面の笑みを貼り付けた涼子がちゃっかりと座っている。
「露店も誰かが組み立ててるの?」
涼子が二ノ宮に言葉を投げかけた。
「うん。役割を決めて効率よくやってるんだ」
「へえ、準備万端って感じだね」
「あとは売り子の出来次第だよ。頑張ってね」
そう言い残して、二ノ宮は持ち場へ戻っていった。
売り子――これが厄介だ。
焼きそばを食べたい人は焼きそばを買う。それは間違いないだろう。焼きそばが嫌いな人に焼きそばを売る。これは不可能だろう。つまり放っておいても買ってくれる層と絶対に買ってくれない層は最初から決まっているのだ。ではどうすれば売上をあげることができるか? それはどちらにも属していない層にどれだけ多く売れるかにかかっている。要するにアピールして購買欲を高めて買ってもらうわけだ。ここまではいい。級長の手腕に脱帽したと言ってもいいくらいだ。きちんと経営学の理論に則っている。
だけど。
そのアピール方法がコスプレって。
しかも女子がメインなのだ。
「そんな恥ずかしい格好できません」
女子の一人が言いました。胸の強調するためだけに作られたようなファミレス風の制服も、メイド喫茶で使われるメイド服やゴスロリ系の制服もこの地域には馴染みがない。抵抗があって当然だった。
「これまでにない売上を叩き出す! これは言わば革命なのだ。なにも恥ずかしがることはない。断言しよう! 制服にかかるコストを差し引いても必ず過去最大の利益を生み出せる。だから可愛い君たちに僕らが用意した制服を着てもらいたいんだよ」
訴えかける級長。応援する男子陣。教室の端っこでうな垂れている担任。
「あんたの欲望に革命をこじつけるな!」
反論する女子陣。
「一時の恥ずかしさより永遠に語り継がれる記録を残すことのほうが大事だろ!」
抵抗する男子陣。
繰り広げられる弁論の応酬。
しかし。
途中から雲行きが怪しくなる。最期のほうは罵詈雑言が飛び交う始末だった。
「ええい、わかったわかった。では公平かつ平等な多数決に委ねることにしよう」
騒然となった教室を鎮めるべく級長は叫んだ。
そんなわけで。
公平と平等から最もかけ離れた多数決によって、私たち女子はコスプレを強要されるはめになった。どうしてそうなったのかって? それは男子の数が女子より多いからです。この決定のあと級長は通販で制服を購入したらしく、現在その衣装たちは教室の棚に収められている。内訳はファミレス系三着とメイド系三着だそうだ。ちなみに、衣装代を差し引いて過去最大の利益に達しなかった場合、級長は制服にかかった代金を自腹で払うと豪語している。そのコスプレにかける情熱だけは認めてあげなくもない。
「真理亜は制服にエプロンとメイドだっけ?」
売り子は一時間ワンセットで二回ほど受け持たなくてはならない。そのかわり女子はそれ以外の時間を自由に使える。ちゃんと配慮はされているのだ。
「そうだよ」
「私なんてファミレス店員とメイドだもんなあ」
愚痴っているようにも見えるが、涼子は明後日な方向を見やりつつ妄想に耽っていた。内心は二ノ宮がどんな反応をしてくれるか楽しみという感じなのだろう。彼女のように浮かれたりはしないけど、私もコスプレに対する抵抗はそれほどなかった。みんなに比べて見慣れているせいかも知れない。それに特定の人からすれば、高校の制服だってコスプレなのだ。深く考える必要はないと思う。
片付けや清掃などを終えると午後九時になっていた。ほどなくして解散の運びになる。
「おーっし、これであとは明日の本番を迎えるだけだな」
「疲れたーっ!」
「じゃあ、また明日よろしく」
口々に感想を述べて教室から出ていく。
外は真っ暗だった。星空が広がっている。死ぬかと思うほど大変だったけど充実した一日だった。あ、これは冗談にならないから言わないほうがいいのかもしれない。くたくたになった身体で帰宅し、いつものようにお風呂に入って夕食を済ませて眠った。
文化祭当日。
学校へ向かう前に病院へ寄った。注射が目的である。これがないと私の身体はまともに機能してくれないのだ。ノックをしてからドアを開けて中へ入る。私の姿を認めると高見先生が右手をあげた。
「おはよう、昨日は大丈夫だったか?」
「はい。買い物したり重い物を持ったり男子の手伝いをしても大丈夫でした」
「ふむ」
高見先生は私の足元から頭のてっぺんまで見回して首肯した。
「今日も労働するのかい?」
「午前中に一時間と午後に一時間、合計二時間ほど売り子をするだけですね」
私は椅子に腰を下ろして左腕を差し出した。
「ふむふむ」
相槌を打ちながら高見先生は私の左腕を取って消毒している。
昨日と同じ光景。
自然と私の口から言葉が漏れた。
「高見先生は私がいなくなったら寂しいですか?」
「――ん?」
まさに突き刺さる直前で注射が止まった。そのまま硬直している。
慌てて私は言葉を継ぎ足した。
「ああ、勘違いしないでください。深い意味があるわけじゃないんです。先生はいろんな患者さんの死に直面してるじゃないですか? そういうとき、どう思っているのかなって気になったわけです。朝からヘヴィでしたか?」
「いや、別にかまわないよ」
注射を済ませてから高見先生は語り始めた。
「寂しいや悲しいはなんとも言えないね。僕らの場合は救えなかったという悔しさのほうが強いのかもしれない。ただ――死を看取るのに慣れることはなかったな」
過去を振り返っているのか瞳を閉じていた。私は明るい口調でお願いする。
「それじゃあ、その悔しさをバネに不治の病をやっつけられるような新薬を作ってくださいね。いつか――そう遠くない未来で」
「おおう! 新薬の開発は研究チームに託すことになるが、現役で働けるあいだは医療の最前線で戦ってみせるさ。僕がいることで救える命もあるかもしれないからな」
派手なガッツポーズを見せたあと、高見先生は意気消沈な面持ちを作った。
「小鳥遊さん」
「はい?」
高見先生は。
「僕はね、この歳になっても死が身近に迫っているなんて思っていないんだ。老いは感じているのに死は遥か彼方にあると思っている。ただ漠然と明日は来るものだと思っているんだよ。こんな僕が言うのもなんだけど、生まれてきたことを後悔しないでほしい」
真摯な態度でそう言った。
「ネガティブすぎますよ、先生」
私は基本ポジティブなんです。
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