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アカマツ

築110年の古民家を改装した僕らのカフェの中庭には二本のアカマツが生えている。5年間にこの建物を譲り受けてからずっと手入れをしないままでいたら、最近どんどんと元気がなくなってきて、枯れかけてきたように見える。さすがにこれは放っておけないと、庭師の宮前さんに来てもらった。
宮前さんが言うには、上の方の小枝や葉っぱが混みあって光合成や呼吸ができなくなっていて、中の方から枯れ始めている。今はまだ大丈夫だけど、このままの状態で放っておくと枯れてしまう可能性が高いという。
そこで、宮前さんに2日かけて剪定や皮むき等のお手入れをしてもらった。

綺麗になったアカマツを見上げて宮前さんは嬉しそうに、「元気になってよかったです。僕はオマツよりメマツの方がやさしくて好きですね。特にこの木は細いまま高く伸びた形がいいですよね」と言った。幹が黒っぽくて太く、葉が握ると痛いほど硬いクロマツをオマツ(雄松)と呼ぶのに対して、幹が赤褐色で女性らしいしなやかな曲線をしていて、葉が細くて柔らかいアカマツはメマツ(雌松)と呼ぶらしい。

それを一緒に聞いていた彩さんが、「松本さんみたいですね」と言った。
僕の名前には「松」の字が入っていて、長身で猫背で頼りなくひょろりと立つ自分は、たしかに男らしいクロマツよりもアカマツに似ていると思った。

その翌日、僕は出張で長野県の伊那市に行き、用事を済ませた後、同じ市内にある奥田さんの会社を訪ねた。アルプスに囲まれた伊那市はアカマツの大生産地。昔は「伊那マツ」と呼ばれて伊那の特産品的な存在だったアカマツだが、この10年ほどの間に激しいマツ枯れが進行している。奥田さんたちは伊那市で僕らと同じような会社を営み、地域材のアカマツで家具や経木をつくっている。

経木(きょうぎ)とは、木を薄く切ってさらに紙のように薄く削ったもの。木の殺菌成分で食品の味と鮮度を保つと言われ、少し前までは、おにぎりを包んだり、お肉を包んだりと、日常的に使われていた。今ではサランラップやアルミホイル、プラスチックのトレイに取って代わられて、ほとんどみることがない。
アカマツは、ほどよい油分があり、色が白く艶があり節も多くないので見た目がきれいに仕上がる。また、アカマツはスギやヒノキほど匂いが強くなく、ほんのり香る程度なので、食べ物を包んでも素材の香りを損なわず、むしろ素材の風味を引き立ててくれる経木に最適な良質な素材なのだという。

奥田さんに、経木をつくる巨大な鰹節削り器のような機械をみせてもらう。昨日まるで自分のようだと思って気になり始めた、しなやかにそびえ立っていたアカマツの木が、次の日にはふわりと薄い艶やかな経木となって目の前にある。

経木は、サランラップやアルミホイルとは違って、通気性に優れ調湿作用もあるので、ほどよく食材の汁気を吸い取る。おむすびを温かいうちに包んでも海苔がベタベタしたり、逆に乾燥してしまうようなこともなく、おひつに入れたごはんのように美味しく食べてもらえる。そして、経木は使い終わった後は燃えるゴミとして捨てることができるし、もしうっかり外で落としてしまってもそのまま土に還る。
薄っぺらに加工されたアカマツの役割は、まるで僕の目指す仕事の在り方のようだ。

僕は採用面接の時に、その人に必ず「何の木が好き?」と聞いている。もしも自分が同じように聞かれたら、これまでは「ホオノキ」か「ブナ」と答えていたけど、これからは「アカマツ」と答えるだろう。

5年もずっとそばに立っていたのに、そのことに気づかなかったけれど。

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