紅茶花伝と意志の実在性―2024/02/08日記

子どもの頃のほんのちょっとした記憶がなぜかずっと忘れられないってことあると思うんですけど、私にとってのそういう記憶の話をひとつ。

小学生のとき週一でスイミングを習ってたんですけど、毎回練習が終わった後に、親にお金をもらってたのか、自販機でジュースを買っていいよってことになってたんです。
それで、ジュースの選択肢は色々あるんですけど、当時の自分は紅茶花伝(ミルクティー)がめちゃくちゃ美味しいと思ってて、毎週紅茶花伝ばっかり買ってました。
唯一迷う選択肢が、その青い紅茶花伝のとなりにある、ピンク色の(多分イチゴ味か何かの)紅茶花伝で、毎週「ちょっと冒険してピンクの方買おうかな~」と思いながら、結局プレーンの紅茶花伝を買ってしまう、ということを繰り返しておりました。

ある週、私は一つの決意を胸にスイミングをしていました。「今日こそは絶対にあのピンク色の紅茶花伝を飲む」
そして練習が終わり、自販機の前にやって来た私は驚くべき光景を目にします。紅茶花伝が青色だけになっていたのです。おそらく期間限定の発売だったピンク色の紅茶花伝は、ちょうどその週で終わっていたのでした。

「なんでよりによって今日なのだ!」とそのときは思っただろうと思いますが、後になって振り返ると、本当に「よりによってその日」だったのかは疑わしい気がしてきます。
その週より前も、私はピンクの紅茶花伝を買いたいなと思いつつ結局青の紅茶花伝を買ってしまうということを繰り返していました。ピンクが無くなったその日も、もしピンクがあっても青を買ってしまっていたかもしれません。そういう意味では「意志」というものは目的を成就しない限りその実在性を確かめられない。そんな哲学的な命題を初めて認識したのがこのときの事件だったような気がしています。

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