みや

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時々無駄に下手な文を書きたくなる病があるので登録してみました。数年前に副業でオートバイ関連のweb記事を書いていました。モータースポーツ全般大好きです。 モータースポーツ以外の文章の読み書きも大好きです!

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「夢で逢えたら」

たまたま見た新作映画の予告編。 古い古い「夢で逢えたら」という曲が主題歌だそうだ。 この曲は実に様々な人がカバーしている。 鈴木雅之の曲だと思っている人も多いと思うが、自分の中では吉田美奈子の歌唱が一番印象深いかな。 わたしは中学生の頃、大滝詠一を中心とするナイアガラレーベル系の音楽が大好きだった。 随分長いあいだ聴くことは無くなっていたが、ここ数年またこの辺りを聴いている。 原点回帰か、最近流行りの”一周回ってなんとやら〜”的な感じなのか、考え方が360°変わったのか、改めて良いなとw 今はサブスクなどなかなか便利なものがあって、懐かしいものも簡単に聴けるので便利だ。 本当は「サブスクとかどうなんだろう?」と思うものの、自分はミュージャンじゃないしその辺りの権利の問題の専門でもないのでこの状況が良いのか悪いのかはよく分からないが、まぁ聴きたい物をさっと聴けるのは貧乏人にはありがたい。 サブスクの話はおいておいて、 この映画では「夢で逢えたら」を作詞作曲した大滝詠一のセルフカバー版が使われている。 非常になつかしい。 楽曲として公式に世に出たのは、確か大滝の没後だったと記憶する。 音源としては大昔にラジオで聴いて録音した物を擦り切れるまで聴いていた様な気がする。 いわゆるエアーチェック⁉︎ 死語だねw この映画のストーリーは、男に依存する”クソ野郎“な母親から幼い頃に捨てられた少年が、”クソ野郎”な母親を再び訪ねる物語だ。 この曲の事や歌詞をあまり知らない世代の人たちなのか、 ”この重たい感じのストーリーにミスマッチな曲調だ“などのレビューをチラホラ見たが、 違うんだよなー このどうしょうもなく悲しくて切ないストーリーにすげーマッチしてるんだよ、おっさん的にはw 特に男性である大滝詠一本人の歌唱とアレンジで、より悲しさや切なさは倍増なのだ。 ”クソ野郎”な母親だと十二部に分かっているのに、母親が本来持ち合わせているであろう”クソではない何か”を確かめたかったのか… 唐突に母親を追いかけ始めてしまったこの少年の切ない気持ちに、実にこの歌詞が、このアレンジが、曲中の大滝のセリフがベストマッチなのだ。 素敵な選曲だと思った。 私が勝手に思っている大滝詠一の歌詞の解釈が見当違いでなかったとしたら尚更そう思える。 この曲は大滝の盟友である松本隆の作詞ではなく大滝詠一自身の作詞である事に意味と悲しさがある。 そして彼自身が”夢で会わなくても”、もういつでも誰にでも会える所にいってしまったのだから… 昔はたくさん映画も見ていたものだが最近は全く見なくなってしまった。 でもこの予告編で思い出の曲である大滝詠一の「夢で逢えたら」を聴いてしまったので、この映画監督がなぜ大滝詠一歌唱の「夢で逢えたら」を使ったのか知りたくて、ちょっと見てみたくなった。 そして中学生だった自分が聴いていた大好きな思い出のこの曲を、40年ほど経って映画の主題歌として聴いたらどう感じるのだろうか…

    • 「マスクなんかいらない」

      9月初旬のの暑くて雨でムシムシしてる時に、 つい、 『マスクなんか要らない』 と車のダッシュボードにマスクを放り投げ、軽い頭痛を感じながらそいつをぼぉ〜っと見ていた。 そうしたら何故か古い古い80年台の「コミック雑誌なんかいらない」という映画を思い出した。 内田裕也プロデュースで、ピンク映画がまだまだ元気があった頃の監督(滝田洋二郎監督)が撮った映画なんだけど、まだ髪が短かく黒かった頃の内田裕也はその頃からやっぱり中の人はあの”内田裕也”で、 何でも”ロッケンロール‼

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