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【広島焼きほおばるまでのプロローグ長し】


家族旅行で広島へ。

はじめて広島行ったけど、

緑も多いし、街も栄えてるし、
川も流れてて、山も見えて、
路面電車も走ってたりして、
広島いいなぁ!

って思った。
過ごしやすそう。

はじめて平和記念公園に行って、
はじめて原爆ドーム見たけど
やっぱり存在感がすごくて、
朝一回行って、
夕方なる前ぐらいにもう一回行った。


特に印象に残ってるのが、

原爆ドーム前で、
観光ガイドの人がツアー客の人に向けてバーって説明してて、
それとは別で、おそらくボランティア?の人(男性30代ぐらい)が、
ツアーとかじゃなく原爆ドームに訪れた人たちに向けて
当時の様子や原爆による被害の大きさとか説明してくれてて、
それだけで(この人すごいなぁ)と思ってたけど、
説明の終わりに
「自分たちにできることは伝え続けることだと私は思っています」
的なその人の考えバーン言って、
これで私の説明は終わります言うて一礼。
聞いてた人も、頭ぺこり。
その人パーって去って行くみたいな。

めっちゃ印象に残ってて

旅行から帰ってきた次の日、
家でその人からもらったパンフレット見よう思って
見開き1ページ目に
『核爆弾は、人が考え、人が作り、そして人の手によって使われたのです』
って書かれてて、

うわあ。。

みたいな感じ。
意味わからん。笑

核爆弾考えた人も、作った人も、使った人も、
当時、どういう思いやったんかなあ。っていう。

多くの人の命を一瞬にして奪っていった。
後遺症に苦しんだ多くの人。
大切な家族や友達の命を奪われた人。

ちょっと想像するだけでも
かなりの悲劇。

人が豊かになるサービス考えて、作って、使う。
理解できる。
人の命奪うサービス(兵器)考えて、作って、使う。
なかなか混沌とした世界やったんやなって思う。

世界の歴史ほぼ知らんし、
日本の歴史も全然詳しくないけど、
昔はもっと争いごとの多い世界っていうイメージあるし、
平和に暮らせてるのも最近のことなんやなぁって改めて実感した。

グローバル化とか多様性とか、
「違いを受け入れよう」みたいな流れは最近の話で、
今の時点でもそういう課題だらけやのに、
今よりもさらに前は、
もっともっともっと課題だらけやったんやろうな
って感じた。
よくわからん差別や偏見、利己的な考えで一方的に迫害されたり、命奪われたり、争ったりすることが大量にあったんやと思った。

未熟な子供の時はケンカ多いけど、
成熟して大人になったらケンカせぇへんようになるのと同じように、

「人類の経験値」も浅いとき(昔)は争いが多かったけど、
人類も経験積んでだんだん(今)争わなくなってきてるんやとしたら
世界はこれからもまだまだ豊かになっていけるやん、って思った。

ほんで「人類にとっての経験」が、「歴史」なんやなって思った。(遅いけど笑)
「歴史を学ぶ」って「過去の人類の経験を学んで未来に活かす」ってことなんやと思った。(遅いけど)

日本の戦争体験した人が全員亡くなって、
戦争体験したことない人が1人もおらん状態になったら、
日本もまた戦争するんか?
って考えたら、
そうであってほしくないし、

自分が生まれたのがたまたま戦後すぐの時代で
「戦争はあかん」という意識がまだまだ強く残ってる世代やけど、
自分の子供の世代とか
その子供の子供の世代とか
そのさらに下の世代の時とか
どれくらい「戦争はあかん」っていう意識が残ってるんやろ?
とか思う。


あのボランティアの人が言ってた
「自分たちにできることは伝え続けること」って
そういうことなんかなって思った。


子供はなんも知らんし、今の時点で特に教えるつもりも全くなく、
「行ったことないところ行こう」の行き先が
たまたま広島やったてだけやけど、
原爆ドーム見て
「なんでこの建物こんなボロボロなん?」って聞いてきたし、
戦争を知らん人に「なんで?」のきっかけを作る原爆ドームの存在や
終戦記念日の存在が
過去の過ちを伝え続けてくれてるねんなあって思った。

たぶんロシアとウクライナのことがあるから余計そういう風なことを思った。
なかったら例年通りスーやった。


歩き疲れて、夜は広島焼きをほおばった。

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