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Lessico famigliare (4)

Lessico famigliare / Natalia Ginzburg (Einaudi, 261ページ)、読み終わりました。

最後まで読むのは今回2回目でした。この本を買ったのは、イタリア語の文法を一通り勉強し終えた頃だったと思います。何度も挑戦して、何度も前半で挫折して。今、そこまで苦労せずに読めていることにちょっと感動しています。

この本のイタリア語って、文法書に書かれているシンプルな語順の文章ではありません。一文の中にビルゴラで挟まれた挿入句が頻繁に入ってきます。学習初期の私は各単語の要素をきっちり把握できず、何となくわかった気になってテキトーな読みをしていました。

この下の文章も、主語のLa proprietaria dell'albergoの述語まで2行の挿入部分があって、さらに動詞raccontòの直接補語も3つあってと、こんな文章、以前の私には全く歯が立たなかったな、と思い出します。

La proprietaria dell'albergo, che aveva tedeschi accampati nelle poche stanze e seduti in cucina attorno al fuoco, là dove tante volte eravamo stati seduti noi quietamente, raccontò a quei soldati che ero una sfollata di Napoli, sua parente, che avevo perduto le carte nei bombardamenti e che dovevo raggiungere Roma.

Natalia Ginzburg, Lessico famigliare (prima edizione 1963), Einaudi, 2009, 161

ちなみにこの場面は、アブルッツォ(だったかな?)の田舎の流刑地に住んでいたNataliaと子どもたちが、ドイツ軍が迫ってくる中、強制収容所送りを回避するためにローマへと脱出するところ。村の人たちは皆親切で、何とかして彼女たちをドイツ軍の追手から逃れさせようと知恵を絞ります。宿屋の女主人は、ローマ行きのトラックを運転しているドイツ人に、Nataliaは自分の親戚だと偽り、ローマまで無事届けてくれとお願いします。こうして夫Leoneの住む街までたどり着くのでした。Nataliaたちは生きた心地もせずにこのトラックに乗り込んだのではないだろうかと想像します。

今回、この本を再読しようと思ったのは、Cesare PaveseのLa luna e i falòで描かれた世界と同時代のものを読みたかったからでした。La luna e i falòでは、ピエモンテ州ランゲ地方の小作人の貧しく慎ましい暮らしが描かれていて、こちらは同じくピエモンテ州だけどトリノのユダヤ人知識階級の一家の物語。ナタリアの一家はお金がない!という場面が出てくるけれど、日常からお手伝いさんを手放せないし、子供には仕立てた洋服をたっぷり着せたいという人たち。どちらも1900年代初頭の激動の時間を切り取りながらも、まったくちがう階級の人たちの物語でした。


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