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そもそも毒親とは?② 「毒になる親」を読んで(前半)

毒親に関する本はたくさんあるが、やはりその原点に戻り、スーザン・フォワード氏の『毒になる親』を読んでみることにした。この本は、アメリカでは1989年に初版が出ている。私がこの本についてうっすら知ったのは、2000年代に入ってからだ。調べてみたら、日本での初版は1999年。オーストラリアでの初版は2002年と、日本より後である。今はまた状況が変わっているが、オーストラリアはイギリス系なので、同じ英語圏でも昔はアメリカのものはそこまで早く入ってこなかった。ただ、前回書いたToxic〇〇という言葉は、私が在豪していた2000年代に確実に使われており、「Toxic parents」とはうちの母のことかな、と当時から思ったりはしていた。そして、2009年の帰国後、私は「毒親」という日本語を初めて知ったのだ。

余談だが、私は多分当事者でありながら、この毒親とかアダルトチルドレンとかそう言った本を読むことにあまり興味がない。似たようなケースはあれど、自分のケースと他の人たちのケースを一纏めにしないでほしいというような想いがあったりするし、本を読んだからって私の過去は変わらない。ただ、この元祖毒親本にはそれなりにずっと興味を持っていた。でも随分昔に書かれた本だし、と読む優先順位が低かったのだが、先日調べてみたら新たな要因や解説などが追加された完全版なるものが2019年に発売されていたのを知り、早速購入し読んでみた。

その冒頭から私の心を鷲掴みにした。以下、はじめに、からの引用だ。

「子供に対するネガティブな行動パターンが執拗に継続し、それが子供の人生を支配するようになってしまう親がたくさんいる。(省略)頭をよぎったのは、『有毒な』とか『毒になる』という言葉だった。(省略)こういう親によって子供の心に加えられる傷はしだいにその子供の全存在にわたって広がり、心を蝕んでいくからである。そして子供が成長するに従い、負わされた苦しみもまた大きくなっていく。」(スーザン・フォワード、『毒になる親 完全版』、毎日新聞出版、Kindle版、2019、はじめにからの引用)。

1989年。それは私がまさに母から苦しめられていた時代だ。あの頃の日本は、親の言うことは絶対だ!親に感謝しろ!子供は生意気言うんじゃない!などといった風潮が極めて普通だったと思う。一方アメリカでは、そのような乱暴な親に対して疑問を持ち始めた人がすでにいたのか、と愕然とした。

この本の第一部では、毒になる親の特徴がその例と共にわかりやすく細やかに記されている。
 
概ねだが、以下の特徴などだ。

【過干渉・支配】
子供の主体性や独立心を奪い、親の意思を押し付けて子供の全てをコントロールしようとする親
【批判・非難】
子供の行動や人格を否定し、残酷な言葉で自尊心を傷つけ屈辱を味わせる親
【感情の操作】
罪悪感や恐怖心を利用して子供を操る親
【ネグレクト】
自身が抱える問題(アルコール中毒・精神疾患など)を理由に子供に無関心を貫き、子供の基本的なニーズを無視する親
【身体的・性的虐待】
言葉通りであり、これらは明確な犯罪行為でそのトラウマレベルからプロの助けが必要。

スーザンは、子供には、心身ともに健康に子供らしく生きる権利があると述べている。また、親には子供の基本的ニーズに応える義務があり、これには衣食住の提供や、健康な心が育つための精神的ニーズへの対応、危険からの保護、道徳観念や倫理観の教育が含まれる。これらは親の基本的な責任だと。

この第一章を、読めば読むほど、やはり私の母も毒親に間違いないことを確信した。私は、過干渉により生活の全てを監視され、母の思い通りに行動するようにコントロールされていた。些細な行動を常に非難され、いつも「馬鹿ね、変な子ね、おかしな子ね」と罵られ、見た目に関しても「唇が厚くて鼻が低いわよね!」などと馬鹿にされてきた。感情的な操作に関しても「あなたのために」だとか「あなたがこんなだから」と言われ続け、「私が悪いから」と思わざるを得ない状況を作り出されていた。

私は身体的・性的虐待やネグレクトに関しては一切経験していない。そのため、自分は恵まれていたはずだと自分自身に言い聞かせてきた部分がある。しかし、この本を読んで、「もっと不幸な子もいるのだから自分が恵まれていたかも?」などと思う必要はないということにも気がついた。子供がそのつどの成長に応じて子供らしく生きることは当然の権利であり、幼少期の傷や現在も感じる苦しみの責任は自分ではなく親にあるのだ。

この本には、第二部があるのだが、長くなってしまったので、続きは次回書こうと思う。

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