見出し画像

人はパンのみにて生くるにあらず(1)

聖書を読み解くひとつの鍵は、

また、この現実世界において、顔を顔を合わせて神と出会うひとつの道は、

「この世界は神が造った、極めて良いものである」という「真理」を信じることにある。

そんな文章を書いたことがある。

しかし問題は、「いったい誰が、そんなことをば信じれよう」ということだ。

混迷を極める世界情勢を、毎日醜聞ばかりが躍る新聞記事を、あるいは、終わりのないようにくり返される勤労と哀しみの日々を、あるいは、ちっぽけな自分の人生に起こり続ける悩ましき諸問題を、――そんな「事実」や「現実」を見つめる時、「極めて良い」などという「真理」をば、どうやって信じることができようか…?

しかし、「信じる」とは、そもそも「現実的な行為」ではない。

目に見えるものを見るのではなく、見えないものをば見たり、聞いたり、知ったりして、それによって選択し、決断し、行動を起こしたあげくのはてに、あくまでもそれを継続しようとする、――そんな一連の行為が実際に行われ、そういう愚行をばあくことなくやり続ける〇〇の絶えることがない、――それゆえに、「信じる」なんぞいうオカシナ言葉が、この世界に生み出されたのである。

現実的でもなく、論理的でもなく、合理的でもなく、具体的でもない――目にも見えず、耳にも聞こえず、けっしてこの手で触れることもでき得ない、――そのような「真理」にたったひとつの命をかけること、それがすなわち「信じる」というオカシナ行為なのだ。

だからこそ、「イエス様はわたしたちの罪のために死んでくださいました。アーメン」――といったようなこの世の諸教会のお説教に、私はまったく興味がない。

「イエス様はわたしたちの罪の…」という「真理」を「信じる」ことを、いとも簡単な行為のように――たとえば、「これは無償の贈り物(フリーギフト)ですから、私たちのなすべきことはただ受け取るだけです」などと――臆面もなく語ったりして一向にはばかりのないモーマイもきわまった態度にいたっては、反感を通り越して、開いた口がふさがらない。

もちろん、そんな「フリーギフト」をば、本当に本当に「ただ受け取った」というのであれば、大変に結構なことだ。あとはどーぞご勝手に。

この私も、そんなに容易く信じれるものならば、ちょっと信じてみようかとなどと思って、「騙されたクチ」であると言えば、そう言えなくもないのかもしれない。

しかし私は、そんな「フリーギフト」をば自分以外の誰にも「伝道」しようだなんて、けっして思わない――だって「嘘」だから…!

少なくとも、この私というちっぽけな人間にとっては、嘘も嘘、大嘘である。私は「嘘」をまき散らすべく、一円の献金を捧げるつもりも、一秒の時間を使うつもりも、一滴の汗を流すつもりもない。

むしろ、若き日の私のように、あまりに無辜に、無垢に、ナイーブに信じようとしてしまったがために、「騙された」と感じて、いま苦しんでいる人がいるのならば――ほかならぬ、そういう人にこそ興味がある。

だがそれ以上に、そんな誰に対してでもなく、いかなる人間に向かってでもなく、ただ「神に向かって書きたい」と思って、この筆を執ったというのが「本音」ではあるが。…


それでも、結論を先に述べてしまえば、「真理を信じる」ことは、誰にでも可能である。

本当に、「誰にでも」、「神を信じる」ことは、「可能」である。

しかし、しかし、

断言してもいいが、「イエス・キリストを信じる」とは、「フリーギフトをただ受け取る」以上の、「行為」である。

はっきりと、なんどでもなんどでも、断言してもいいが、「神を信じる」とは、むしろ「この世界でもっとも難しい行為」、である。

なぜそう思うのか?

なぜそう思わないのか?――と、逆に問いかけたいくらいであるが、

もしも、「神を信じることが、この世でもっとも難しい行為」でなかったとしたならば、なにゆえに、聖書の中でも、神は人間に向かって、こう言い続けているのか?

―― 恐れるな ――


と。

この言葉を、こんな短いひと言を、聖書の中だけでも、いったい何度、神は人間に向かって、語ったことであろうか?

アブラハムに、ヤコブに、モーセに、ヨシュアに、ダビデに、その他あらゆる王に、預言者に、民に、…病人に、盲人に、やもめたちに、――くりかえしくりかえし、くりかえしくりかえし、強調し続けた理由とは、何であるからだというのだろうか?

「恐れるな。これはあくまでフリーギフトなんだから、後になって金銭や命を要求したりしない」と言ったのか? もちろん、そうではない。

「恐れるな。神が共にいる(インマヌエル)」――と、言ったのである。


恐れるな、なぜなら、神が共にいる。

神が共にいる、それゆえに、恐れるな…

恐れるな、恐れるな…


――何を?

何を、恐れることなかれ、なのか?

神は、人間に、いったい「何」を、「こわがるな」と、言ったのか?

――そう、「現実」をである。

自分の目に見えている、「現実」や「事実」を、

いま、ほかならぬ自分の目が見つめている、ぬきさしならぬような「困難」や、もはやどうしようもなくなったような「状況」や、かそけき希望さえ見い出せないような「絶望」をこそ、

―― 恐れるな ―― 


と、言ったのである。

そして神は、たった今、この瞬間にあっても、言っているのである。

くりかえしくりかえし、くりかえしくりかえし、神は、すべての人間に向かって、飽くことも、倦むことも、疲れることもなく、言いつづけているのである。


いつか小説化してみたいと目論んでいる、民数記という聖書の物語の中に、こんな言葉がある。

「同胞が主の御前で死んだとき、我々も一緒に死に絶えていたらよかったのだ。なぜ、こんな荒れ野に主の会衆を引き入れたのです。我々と家畜をここで死なせるためですか。なぜ、我々をエジプトから導き上らせて、こんなひどい所に引き入れたのです。ここには種を蒔く土地も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも、飲み水さえもないではありませんか」

こう言って、イスラエルの群衆は、徒党を組んで、時の指導者たるモーセに逆らった。これは、彼らがエジプトの国を出てから、約40年後の出来事である――とされている。

その時、イスラエルの群衆の数は、男だけで約60万人の大群衆であった。

そして、エジプトを出てから約40年後ということは、

エジプトでの奴隷の軛から解放され、海が割れるという奇跡までその目で見、――割れた海の底を歩いて向こう岸まで渡り、割れた海がふたたび戻ることによって、ファラオの軍勢がことごとく水の底に飲み込まれるという救いまで体験し、――それから、夕暮れに肉を与えて食べさせられ、朝にパンを与えて満腹にさせられるという旅を続け――、

といった数々の神の「恵み」を40年間、その身をもって体験し続けて来た上での話なのである。

「こんなにも数々の奇跡や恵みを経験しながら、なにゆえに、最後の最後まで不平不満を…」という言い方も、しようと思えばできなくもない。

しかし、時のイスラエルの群衆の目に見えていた「現実」とは、「ここには種を蒔く土地も、いちじくも、ぶどうも、ざくろも、飲み水さえもない」というものであった。

そして、その認識は、けっして間違いではなく、むしろ正確だった。

もう一度言っておくが、

「ここには種を蒔く土地も…」という、彼らの「現実認識」は、間違いではない。

なぜなら、「ここには…」という言葉をもって表現された、そのとき彼らの立っていた場所とは、「荒野」であった。そしてその「荒野」は、男だけで約60万人(女子供を含めれば、おそらく200万人以上)という数の人間の塊が、おおよそ「生きるに値しない」ような土地であった、ということなのだ。

だから、間違いではないのである。

その証拠に、モーセに導かれた時のイスラエルの群衆がさまよい歩いた、そんな「荒野」において、今現在、いかなる都市が建設されているだろうか? 時は21世紀まで下った今、「いちじく、ぶどう、ざくろ」やがその土地ですずなりに実っているとでもいうのだろうか?

そうではない。

そうではないから、モーセの時代から約3000年以上を経た今なお、「荒野」のままでしかないような土地を、「こんなひどい所」と表現したイスラエルの群衆の言葉は、けっして間違っていないと言っているのである。

まただからこそ、彼らの不平不満は、神へ、その代理人たるモーセへと、向けられた。

エジプトから自分たちを贖い出し、導き出してくれた「主なる神」は、「乳と蜜の流れる土地」へ導いてくれると「約束」しておきながら、いったいいつまで、こんな「ひどい所」をさまよい歩かせるのか、というふうに。

もちろん、出エジプト記や民数記なんかを読んでいけば、「理由」は書かれている。紅海のほとりから、歩いてもせいぜい二週間かそこらで到達可能な「ヨルダン川の向こう側」に、「なぜ40年もかけて旅しなければならなかったのか」という理由は、(例えば民数記の14章なんかにも)ちゃんと書かれている。

しかし、だからといって、「話が違うじゃないか」というイスラエルの群衆の不平不満もまた、同情の余地のないものではない。

もし、当時から今に至るまで、人間も動物もとうてい生きてなどいけないような「ひどい土地」に、「いったいいつまでいなければならないのか」と叫び苦しんだその嘆きに対して、同情も共感もできない人間がいるとすれば、そんな人間は己の目睫にいま横たわっている「現実」さえ、正しく認識できない者である。のみならず、「聖書」もろくすっぽ理解できなければ、「神を信じる」ことさえ、はたして可能かどうか…。

来る日も来る日も、「ひどい所」を歩きまわりながら、飢えや渇き、昼の灼熱や夜の極寒を耐えしのびながら、また時には周辺国の軍隊との激しい戦いを交えながら、――そのような明日も分からない苦しみが、毎日のように、当たり前のように、終わりもないようにくり返される「現実」だけを見つめれば、イスラエルの60万の群衆が「失望」してしまったことは、まったくやむを得ない。

「失望」のために、神に向かって怒り、憤ったあげくのはてに、憎しみや恨みや呪詛の言葉をつぶやいたとしても、「人間的な、あまりに人間的な」話である。「人間的」な視点から眺めてみれば、すこしもおかしな話ではない。

しかし、まさに、そこにこそ、「神の意図」はあったのである。

「生きるに値しないような、ひどい荒野」を、選民たるイスラエルの群衆をして、40年間もさまよわせ続けたことには、明確な「理由」があったのである。

そんな「神の理由」とは、ほかでもない、「訓練」だった。

――訓練。

なんともまあ、当たり前のような、腹立たしいような、あるいはまた、恵み深いような…、種々の響きを含蓄した言葉である。

申命記を読めば、詳しく書かれていることではあるが、そんな「訓練」の内容をひと言で言い表そうと思ったら、以下の通りである。


―― 人はパンのみにて生くるにあらず、神の口から出るひとつひとつの言葉によって生くる者なり ――



まったく神は、このひとつの「真理」をば、イスラエルの民をして体得させたかったがために、「生きるに値しない、ひどい荒野」なんかを、「訓練」の場として選んだというわけである。



つづく・・・



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?