匂い

緑に囲まれた道、ギー、ギー、と鳴く虫と共に進めていく歩は、蒸し暑さはありながらも植物の呼吸を感じている。
何気ない夏休みのあの日、目が覚めた頃には家の中に家族の音は感じられず、窓を覗けば華星がビーズのように散りばめられていて、言葉というひとつの表現を使うには勿体なく、物悲しさと不思議な浮遊感を覚えている。
それから数時間後には外に出てひたすら団地の中を歩く癖がついていた。もちろん家族にバレずに。
1種の幼心から生まれる冒険心ももちろんあったけれど、なにか失いたくない大切な存在を追いかけながら、その存在は私より早く先へ行ってしまう喪失感に溺れながら歩く。それが好きだった。
あの日の匂いだけは、数年経った今でも決して忘れていない。今は違う環境に衣食住を置いていても、必ず夏の夜明けの匂いに虫の鳴き声、蒸し暑く涼しいそよ風だけは私を忘れさせない。

人間の五感は、一番最初に記憶を置いていきやすいものと一番最後まで忘れない五感がある。前者は声で、後者は嗅覚だそうだ。
大脳辺縁系と呼ばれる脳機能では、海馬と呼ばれる記憶を司る器官がある。日々得る情報達も一旦短期記憶としてこの海馬と呼ばれる器官に記憶される。
逆に何度も思い出す情報は長期記憶として海馬で変換される。実の所、五感のうち嗅覚のみが海馬を直接通じて物事を思い出すことが出来るが、他覚は全て一度大脳新皮質と呼ばれる脳機能を通じた後に海馬へと情報が送られていく。つまり、記憶と感情を処理する脳機能に直接的に伝わる嗅覚と他覚ではその時に思い出す情報の量は大幅に違う。

きっと私はあの夏の匂いを忘れられない

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