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教師に教師はいない

教師と呼ばれる職種は様々だが、今回は私の通っている学校の教師を指して話をする。

私の通っている学校には、教師はいない。
教師と言う職種の人間はいるけど、私にとってはただの赤の他人で、知らない知識を教科書通りに教えてくれる人。
教師、というよりも音読をしてくれる人に近い。
私の教師という言葉のベクトルがどのように向いているかにもよるが、少なくとも教師と呼べると判断したいと思った人はまだいない。悲しいことに、私の学校には反面教師がうじゃうじゃといる。
1度は聞いたことがある人も多いだろう反面教師という言葉。知っている人も知らない人ももう一度、私と一緒に振り返って見てほしい。

反面教師(はんめんきょうし)とは、反省の材料となるような人や事例を指す。中国共産党中央委員会主席の毛沢東により発案された言葉で、中国語の原語では「反面教员」である。 日本の似たような諺に「人のふり見て我がふり直せ」というものがあり、日本でも一般にはその意味で慣用される語句になっているが、毛沢東の原典ではさらに詳細な意図が語られている。(Wikipedia参照)

簡単に言えば、自分にとって良くないと判断した人の態度や性格等に対して、ああなってはいけないなと自ら判断し、享受する事だと解釈している。
そんな反面教師が、私の学校には沢山いる。

例えば、美術の教師を例に出そう。これは私の学校に実際にいる人間の話だ。
仮に名前をAとする。
Aは、素描、絵画、グラフィックデザイン、ビジュアルデザインと幅広い授業の担当をしている。
Aはいつも美術教員として、教えるべき内容を生徒に説く。私には説いている風に見えるのだけれど。
その解釈は1度置いておいて、本題に戻る。
Aは、よく私たちにこう言うのだ。
「私があなたたちの作品にアドバイスを入れても、そのアドバイスは違うと思ったら無視をしていい。」
その言葉を初めて言われた当初は、[ああ、私の作品を作っていいんだ。全てを受け入れなくとも私の私だけの作品を作ってもいいんだ。まさに美術に統計してるだけはあるな。]と子供ながらに上から目線に考えていた。実際まだ子供だけれど。

けれど、この言葉は後にただのお飾りに過ぎなくなった。

ある時、ビジュアルデザインの授業で私は友人と同じ机を使ってポスターを制作していた。
するとAはいつものように生徒の制作しているポスターを見て回っていた。すると突然、友人の作品にこう言った。
「このデザイン、もう少し目を引く感じにした方が私は好きだなあ」
まあ、確かに言われればと言ったぐらいには思った。このポスターは市に提出するような所謂小さなコンクール用だったから、人が見るという点では、目を引くに越したことはないと言った感じ。でも友人は、このままがいいと思ったのだろう。実際に、「このままにして、ここに別のモチーフをいれたい」といったニュアンスのことも言っていた。
自分の作品だ。考えがあるならもちろんそれを1番に優先すべき。私もいいね、と言った。
でもAだけは違った。その数分後、また私たちの机に来てこう言ったのだ。
「目引くようなのにしたら?例えばもう少し構図を大きくして…。私こっちよりももっと構図変えたが好きだな。」
また言うか、と思ったが特に気にせず私は制作していた。
けれどAはその後2回、計4回も友人に同じことを言っていた。しかもどんどん言葉には私はこうした方が好き、などあまりにも酷い説明を手土産に言い放ってきた。

ああこの人はきっと自分の視点でしか人を見られないんだろうな。と悟った。別に人に期待はしていない。
ただ、ただ単純に、この人に教師と呼ばれる職種は向いていないんだろうと思った。
まだ数学ならわかる。数学には答えがあるから。私たちの祖先が作り出した数字という概念には、答えが存在する。
全てにおいてと言われれば、また諸説あるだろうが大抵高校生で習うような教材には答えがついている。
だけど、ここは美術だ。美術というのは、人の感性を扱った人間の新しい表現方法だと認識している。
それは計り知れないほど膨大な概念でもあり、可視化することも出来る。誰にでも残すことの出来る大きな財産。系統はあれど、答えなんて存在しないもの。
いくら市の小さなコンクールに出すとはいえ、そのアドバイスはあまりにも幼稚ではないかと思った。
ここは自分の好みを発表する会場ではない。
私たちが想像をする場所、それを可視化させる場所だ。
そんなのアドバイスではない、ただ選り好みして答えを決めさせたお前の作品だろう。と言いたかった。
もちろん、この感情は私だけのもの、責任は私だけにある。だから何も言わなかった。もしかしたら、友人にとってはいいアドバイスだったかもしれないから。
可能性は無限だから、それは美術と同じだから、と自分を抑えた。

けれど、友人は少し泣きそうで不服そうな、そんな顔をしていた。

私の感情はどうやらこの子と似通っているらしい。と直ぐに判断できた。その理由は、Aが去った後、友人が物凄い勢いで怒り出したからだ。
「散々人にはアドバイスを無視してもいいって言ったくせに、こんなんじゃ私の作品じゃないじゃん。あいつが作ればいいのに。」
その言葉に私は深く共感した。当たり前だ、人に好みを押し付けるようなら最初から自分がそういった作品を作って勝手に満足すればいい話だ。それを第三者に押し付けるほどのことが、果たしてあっていいのか。
美術という人の感情に語り掛けるひとつの場所に、他人の介入は許されるのだろうか。不法侵入にも程がある。お呼ばれもされていない人間が、そこにいるのはあまりにも不自然だ。他人の介入までが作品なら、むしろそういってくれ、ネタばらしでもしてくれ、と言わせんばかりの感情に襲われた。

実は初めてではない。これは入学当初の初めての部活からだった。私は美術部に所属している。だから、もちろん顧問もAだった。1年生の最初は、自由な作品を作ることから始まった。テーマもなく、自分の作りたいものを自分らしく描く。そのはずだった。
けれど結果は上記と同じ内容だった。それが当たり前の生活だったから、その友人の言葉が出てくるつい最近までは、流れ作業のように扱っていたものだから、大して意識もしていなかった。けれどその言葉を聞いた瞬間から、Aに教師としての信頼は消え失せた。

こんなことだけではない。私は、部員全体に連絡が送れるようにAと個人的にSMSをしていた。もちろん学校から許可はされている。けれど、SMSでの部活連絡を初めてから今日。
あまりにも酷く醜い姿を何度も文面で晒してきたAに、そろそろ本気で嫌気がさしてきた。こと細かく話すと長くなるが、まあ所謂「いちいち言わなくていいことを言う」タイプの人間だった。しかも感情を読み取りづらい文面という形で。それがどれだけ最悪なことか、きっと今も尚気づかず生きてるんだろうと。
こんな人間のために、私は生徒として3年間いなきゃ行けないのかと思うと気が遠くなりそうだった。
そんなふうに思えてしまう人間を育てた環境にすら、逆に興味が湧く。殺人鬼が殺人鬼ではない赤子の頃、どんな環境下に置かれたかによって人生が変わるように、環境と関わる人間が人間にとっての最初よ大きな分岐点だと思っている。
だからこそ、どうしたらこの教師という名札だけをぶら下げた人生を送るAと関わるしかない生活をうまく生きることが出来るか。
それなら答えは出ているだろう。自分がそうならないよう努めるしかない。だから私は、Aを反面教師と呼ぶことにした。もちろん心の中だけだが。

この学校には、こんな話が反吐が出そうなほど甘いというように感じてしまうぐらいの、教師の名札を提げた大人がほとんどだ。だけどこいつらの名札はおそらく裏表が逆なんだろう。本来の名札には「反面教師」と書かれているんだろうな。そう思う他なかった。そうするしかなかった。

自語りになってしまったけれど、本来その為にnoteを始めたようなものなので、ここまで読んでくれた人にとって、教師とはどのような存在であり、どういったものなのか考えてみる機会がこの話になればいいなと思う。別にそんな機会無くてもいいのだけれど、物事の本質を見ようとすることは存外面白いものだから、気ままにやってみるのもいいなぐらいに思って貰えたら嬉しい。

人に期待することほど、悲しいものは無いと私は思っている。けれどそれを押し付ける程の義理はないし、あったとしても私はその選択肢を選ぶことを選ばない。そんな選択肢しかないゲームなら、最初からブラウザバックしてるよ。きっと。

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