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丸紅と伊藤忠商事の経営理念に、浄土真宗が与えた影響とは ビジネスと宗教③

日本には、宗教の理念をもって経営にあたり、事業に成功した実業家は少なくありません。東京大学名誉教授で経済史学者の土屋喬雄(つちやたかお)(1896~1988)は「渋沢栄一は孔孟(孔子と孟子)の教えを、森村市左衛門はキリストの精神を、伊藤忠兵衛は釈迦の心をそれぞれ事業経営のよりどころとした」と語っています。

渋沢栄一と儒教の関係性について紹介した第1回や、日本陶器の創業者・森村市左衛門とキリスト教について語った第2回にひき続き、今回は伊藤忠商事や丸紅を作った伊藤忠兵衛と浄土真宗の関係性についてご紹介します。伊藤忠商事や丸紅を作った伊藤忠兵衛と浄土真宗の関係性についてご紹介します。


伊藤忠商事と丸紅の創業者・伊藤忠兵衛


伊藤忠兵衛(1842 ~ 1903)は伊藤忠商事と丸紅の創業者で、浄土真宗の教えを経営の理念にしていました。

伊藤は1842(天保13)年、現在の滋賀県豊郷(とよさと)町に生まれました。実家は呉服商を営んでいました。父の元での見習いの後、1858(安政5)年に近江国(滋賀県)以外での取引を始めます(伊藤忠商事および丸紅では、これを両社の創業としています)。そして1872(明治5)年、大阪で呉服商・紅忠(べんちゅう)を開きました。その後、伊藤は事業を多角化し、外国との取引を手がけるようなりました。

さて、伊藤は自分の店を開くと、経営にあたってその近代化に努めました。店法(店の規則)を定めて就業規則や店員の権限を明確化しています。権限を明らかにすることは、店員が各自の判断でできる範囲を明らかにすることです。これは、店員への信頼の表れです。

経営を近代化するだけでなく、従業員の親睦や慰労にも努めています。店では毎月6回、すき焼きパーティーを開いていました(この時代、牛肉はかなりの贅沢品です)。しかも、そのパーティーは無礼講でした。賄(まかな)いの食事でも、牛肉が出ることがよくあったといいます。これ以外にも、新年会や芝居見物、夏の舟遊びなどを催していました。こういったことは、利益が上がっているからできることですが、利益を店員の福利厚生にもあてていたのです。

商売は菩薩の業


このような姿勢の背景には、浄土真宗の信仰がありました。店では全店員にお経本と念珠を渡し、店のお仏壇で毎日「正信偈(しょうしんげ)」と和讃(わさん)を称えていました。店での読経の後、伊藤は本願寺津村別院(大阪の別院。通称は北御堂)へ参詣することを日課にしていました。さらに、店で法話会を毎月開いていました。

伊藤の信仰にとくに影響をあたえたのは、福岡の萬行寺(まんぎょうじ)の住職、七里恒順(しちりごうじゅん)です。七里恒順は学問や説法にすぐれ、その教えを聞くために全国から多くの人々が訪れるため、萬行寺の近所には宿屋が何十軒も建っていたと伝えられています。伊藤は仕事で九州へ行くことがたびたびあり、その時には萬行寺に立ち寄って教えを受けていました。

この時代、商人とは卑しい者であるという見方が世間にありました。それに対して伊藤は、商売とは社会に必要不可欠な存在な、むしろ尊い行いであると考えており、「商売は菩薩の業」と語っています。「菩薩の業」とは、これから仏になる人の行いです。これをもう少し詳しく述べた言葉が残っており、そこにはこうあります。

商売道の尊さは、売り買い何いずれをも益し、世の不足をうずめ、御み仏ほとけの心にかなうもの

これを私なりに解釈すると、「商売とは単なる金儲けではなく、誰かが作った物を、それを必要としている人に届けることである。これは売り手と買い手、双方の利益になり、世のためになる行いである。すなわち、自利利他を説く大乗仏教の精神にかなっている」となるでしょう。この精神は後に「売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よし」と表現されます。

伊藤のビジネスは、世間全体の利益を目指すものでした。その理念は、浄土真宗の教えにもとづいていました。伊藤は、後継者となった次男(二代目伊藤忠兵衛。なお、初代の長男は早世)に、次のように言い残しています。

理由のある事で仕事を潰しても決して文句はいわぬが、お前は信仰のある家に生まれた。しかも得難い他力安心の家庭に育っただけに、他のすべては失っても本当の念仏の味、ありがたさだけは忘れてくれるな。仕事も生活もすべてをそれに乗せてくれ。

伊藤忠兵衛旧邸仏壇(伊藤忠兵衛記念館)

伊藤忠兵衛旧邸仏壇(伊藤忠兵衛記念館提供)

二代目伊藤忠兵衛と浄土真宗


二代目伊藤忠兵衛(1886 ~1973)も会社を発展させた経営者です。それだけではなく本願寺と深い関係を持ち、赤松連城(あかまつれんじょう)から教えを受けていました。赤松は本願寺から留学生としてヨーロッパに派遣された経験があり、仏教大学(現・龍谷大学)学長を務めています。

二代目がイギリスに滞在していた時のことです。教会の日曜礼拝に行き(教会に行ったのは赤松から勧められたからです)、ステンドグラス越しに朝日が差し込み、そこで牧師の話を聞いていると、日本のことを思い出して思わずお念仏が出てきました。その経験を帰国後に赤松に話すと、「それが本当の信仰だ」と返ってきました。

また、二代目は本願寺の大谷光尊(こうそん)(明如(みょうにょ))宗主、大谷光瑞(こうずい)(鏡如(きょうにょ))宗主と親交があり、後に本願寺が多額の負債を抱えた時にはその処理にあたりました。

さらに、教育にも関心を持ち、甲南(こうなん)学園(甲南女子学園と関係はありますが別組織)の設立に協力し、学園の理事を務めました(甲南学園、甲南女子学園どちらも特定の宗教はありません)。


【参考文献】
『伊藤忠商事100年』(伊藤忠商事)
『伊藤忠兵衛翁回想録』(伊藤忠商事)
宇佐見英機著『初代伊藤忠兵衛を追慕する―在りし日の父、丸紅、そして主人―』(清文堂出版)

(文/編集委員・多田 修)

※本記事は『築地本願寺新報』9月号に掲載された記事を転載したものです。本誌やバックナンバーをご覧になりたい方はこちらからどうぞ。