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自分のフォロワーシップのついて

はじめに

 自分はつくづく起業家ではないなと思う。

イーロン・マスク、サム・アルトマン、あとは個人的によく(Podcastで)声を聞いている深井龍之介といった起業家の持つ未来を形創る思想や行動には強く共感を覚えるし、そこにできるところは参画しにいきたいとも思し、そうしている。

また、新規事業開発にも取り組んでいって、新しいものを創るイメージも少しずつついてきた。

 しかし、自分が新しいものを創って誰かをリードするイメージは、私の中にどうにも湧いてこないのだ。

リーダーシップがないわけではない。

というよりも、フォロワーシップに私のアイデンティティがあるのだ。

今回はそのことについて述懐していこう。

私の認知モデル

 私はいいアイディアを聞いたとき、素直に「すごくいいね」と思うことができる。

そして、そのことについて嫉妬したりすることは不思議とない。

むしろ、そのアイディアを実現させるためにあれこれサポートしたくなってしまう性分だ。

これが私の認知モデルである。

 私の認知モデルでは、自分と他人が競うことにはあまり価値がない。

もちろん、評価されるのは嬉しいと感じるが、比較である必要はないのである。

逆に、比較されるという行為自体にある種の嫌悪感みたいなものを感じることがある。

おそらく私が主観的な環世界に価値をおいているからだろう。

起業家に向いていない思考

 私が起業家に向いていない、と思うのはそういうところだ。

面白いことにBetすることは労力を厭わないし、成功させたいとも思う。

だが、それで競うことには価値をあまり感じることができない。

価値を感じるのは面白いと思うことと、それが実現した世界であって、その過程の競争ではないのだ。

 また、もう一つ私が起業家に向いていないと思うことがある。

それは自分の能力でできないことがあるときに、私は誰を味方に引き入れてまでやりたいと思いきれない、自分の身体の延長でないことをできると信じきれないところだ。

これは単純に私の経験不足で、人生経験を積んで人に頼って成果を出すことに慣れたら解消されるものだろうとは思うが、現時点ではそういう感覚でいる。

上記のような思考のため、私に起業家は似合わないと思っている。

私のアイデンティティとしてのフォロワーシップ

 私のアイデンティティはフォロワーシップにあると考えている。

私は自分の能力でできること、あるいは経験はなくともそう確信できることには迷わず取り組めるという自信があるからだ。

リーダーの苦悩も、状況も、それに対する周囲の反応も理解しながら、自分のできることに取り組める。

リーダーが人を率いているからこそやりにくいことを、する。

そういう小回りが好きなのだ。

構想を創って人を率いるよりも実行することが好きなのかもしれない。

 同時に、自分にない能力(創造して、社会実装する)を持つ誰かを、自分が面白く価値があると思うアイディアをサポートしたいという思いもある。

見返りは求めておらず、面白い体験や出会いを期待してこれまで様々な社内外のプロジェクトに関わってきた。

私は私の価値観、Mission Statementに合うものに対して積極的に関与していっているだけなのだ。

 こういった姿勢は広義のフォロワーシップとはちょっと違うのかもしれない。

単なる私の気質や価値観だといえばそれまでのような気もしてくる。

おわりに

 俯瞰して見れば、単純に私は誰かのすぐ下やすぐ隣で、その人と同じ風景をみるのが好きなのかもしれない。

ひとり、突出した場所で自分だけの風景をみることにあまり興味を持っていないのかもしれない。

”かもしれない”ばかりで、何も明確に言うことはできないが、そういった私の思考の輪郭はリーダーではなく、フォロワーのそれであるような気がする。

以上

追伸:モチベーションの出どころの違い

考えて見れば、私が何かを始めるきっかけは価値観やMission Statementによるかもしれないが、続けるモチベーションはフォロワーシップからきているのだと思う。それぞれのモチベーションの生まれる出ている場所が違うのだ。そうするとやはり、私は起業家には向いていないと思う。

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