二二二〇年 十余三大学 沢良宜孝太教授 クリエイティブライティング講座オリエンテーション(全文書き起こし)

 本日はオリエンテーション、ということで、この講座の概要を皆さんに説明したいと思います。ざっくりと言えば、当講座は小説を書く技法を学ぶものです。ご存知の通り、小説と言うもののあり方はこの百年足らずで大きく変化しました。かつて小説と言うものは、一人の人間が物語と言う形式をとって自らの思想や経験、人々の感情や社会のあり方を表現するものでした。しかし、語るまでも無いことですが、現在一人の人間の手で書かれる小説と言うものはほとんどありません。インターネットの発達以降、人間のあらゆる営みはサーバー上に保存され、端末さえあれば誰でもその膨大な情報を参照することができるようになりました。また、それらの情報を機械的に高速で分析することも可能になりました。結果として、全ての物語はすでに書かれているものとなりました。このことが起きた日付も正確に表すことができます。二一三四年三月四日です。この日、中国のスーパーコンピューター「智慧」はビックデータを元に物語要素の順列組み合わせを全て試行し終え、存在しうる全ての小説を算出したのです。
 結果として、小説は死んだ、と言うことはできます。しかしながら、今でも小説を書こうと志す人々は残っています。本日お集まりいただいた皆さんのような人達です。なぜ全ての小説が出尽くした後で、すでに書かれていることだと分かりながら小説を生み出すのか。それは意味の無い、車輪の再発明のようなものではないのか。この疑問に対する答えを恐らく皆さんはすでに持っていると思います。もちろん私もです。僭越ながら私の答えを言わせてもらえるなら、小説を書くとは、それ自体で価値のある経験だからです。人間は言葉をつづり、小説を書くなかで、自らの価値観や経験を再構成し、新たな認識へと至ることができます。それは他の行為では代替不可能なものなのです。
 次に重要になるのは、もちろん方法です。大学のコンピュータールームや自室で膨大な情報アーカイブに接続し、それらを参照しながら執筆することも可能ではあります。しかし、その行為には、結局コンピューターがやっていることの劣化コピーをしているだけなのではないか、という虚しさが伴います。小説を書くという経験を十分に意味のあるものにするためには、参照する情報自体を自ら作り出すことを私は推奨します。
 それでは、かつての日本の私小説家のように、書くに足る人生という情報を得るために我が身を小説に捧げればいいのか。または、ヘミングウェイのようにあらゆる出来事の現場に身を投じればいいのか。私はそのどちらも薦めません。一人の人間の生の情報量は、実のところたった一つの小説を書くにしても少なすぎるのです。
 前置きが長くなりました。この問題の解決法として現代の多くの小説家が取り入れているのが、人間にとっての最良の友、犬です。
 
 一九四三年、小笠原諸島にある無人諸島のひとつ、彫江島に一人の日本人と五匹のジャーマンシェパードが漂着しました。日本人の名前は熊谷安夫、ジャーマンシェパードの名前はそれぞれナトリ、ゴロ、キク、コモリ、ヒガシです。コモリだけがメスで他の四匹はオス、安夫は男性です。安夫と犬達は何らかの作戦中の事故で漂流したものと推察されていますが、詳細については現在も機密扱いのため、明らかにされていません。
 安夫の身に起こったことは彼が残した日誌から知ることができます。麻張りの手帳に鉛筆で書かれたそれは、現在国立博物館のデジタルアーカイブにて一部公開されています。後ほどURLを上げますので、各自目を通してみてください。
 取り急ぎ日誌の概要を説明しますと、そこには安夫がほとんど着の身着のままで流れ着いた無人島でどのように生を繋いでいたのかが記されています。島には清流があり、また安夫は魚を取ることに慣れていたため、飲み水と食料には困らなかったようです。彼にとって問題だったのは、自らの孤独をいかにして癒すか、ということでした。自分以外の人間がいない、地図上のどこに位置するのかもわからない島で来る当てもない助けを待ち続ける日々は、安夫の精神を蝕みました。
 彼は心のよりどころを五匹の犬に求め、飼い主とペット以上の関係を築こうとしました。具体的には、彼は犬達との言語的なコミュニケーションを求めました。日誌には彼の狂気とも言えるような試行錯誤が書かれています。声帯の構造的に犬は人間のように話せないということはなんとか理性的に承知していた安夫は、自らが犬の言葉を聞き取れるようになること、そして犬達に人間の言葉を理解させることを目指しました。この試みを始めてからの彼の日誌は、犬達の鳴き声を独自の発音記号で記したメモ書きと、日本語での呼びかけに対する犬達のリアクションで埋め尽くされていきます。
 少なくとも第一世代での試みは失敗に終わったようです。しかし彼は諦めませんでした。日誌に記された犬達の長大な家系図がそのことを示しています。彼らは近親相姦を繰り返しながら、日誌上で確認できるだけで十五代にわたり繁殖し続けました。ゴロの子タロ、クマアラシを生み……といった具合にです。日誌の後半は単語帳で埋められていますが、大部分はアーカイブの閲覧対象外です。
 安夫と犬達の身に起きたことは、長い間誰にも知られずにいました。しかし二一四九年、イギリスの商船フローレンス号がエンジン系統のトラブルで彫江島に一時停泊したことで状況は一変します。乗組員達が見たのは、島中に繁殖した、シェパード風の大型犬達の姿でした。
 これが二十一世紀なら、一部の生物学者たちが興味を示しただけだったかもしれません。しかし、二一四九年とは、つまり、犬言語の翻訳が可能になった後の時代の話です。犬達は全頭イギリス本国に移送され、研究の対象となりました。
 その後起こったこそ、スーパーコンピューター「智慧」に次いで小説の技法の発展史に永遠に記録される出来事なのです。
 結論から言えば、安夫の試みは成功していました。犬達は、かつて自分たちと同じ言葉を話した、二本足の大きな生物がいたということを記憶していました。もちろん安夫が直接会話した犬達はイギリス人が上陸するとうの昔に死亡していました。記憶していた、というのは神話として、ということです。
 彼らは何代にもわたり島で繁殖する中で、独自の神話体系を築き上げていきました。そしてその大元になる存在、それこそが安夫でした。犬達が安夫を言い表す単語の翻訳に研究機関は成功したようですが、機密事項のため一般には公開されていません。

 この出来事におかしな角度から注目した一団がいました。当時東京の葛西で活動していた同人批評グループ「ひつじ舎」の人々です。彼らは「智慧」のあと人間が小説を書くのならそれはどのように為されるべきか、そして書くに足る経験をどのように得るべきか試行錯誤していました。そんなときに入ってきたのが彫江島の報道です。彼らはいち早く気付きました。人間よりも短いスパンで神話を生み出す犬というシステムに。
 ひつじ舎は翌々年の六月、即売会「文学楽市楽座」にて『八潮/彫江』を発行します。これは、八潮のシェアハウスにてサークルメンバーの武良とボーダーコリー十五匹が一年間の共同生活を送った後、犬達と面談を行い、聞き取った内容を翻訳、編集したものです。世代継承は為されていないため、そこには彫江島のように神話と言えるようなものは生まれていません。しかし、その萌芽をつかむことに成功しています。犬達は武良のことを、自分らと同じではない、しかしコミュニケーションを取ることのできる上位の存在と見なしていました。
 犬達と生活し、調査結果を同人誌としてまとめることはひつじ舎のメンバーのライフワークとなりました。八潮にはときに武良以外のメンバーも訪れ、彼らの存在は「外からの神々」として犬達の記憶に刻まれていきます。
 最終的な成果が出るまでには、五十年の月日を要しました。二二〇一年に発刊された『八潮/八潮』は、ひつじ舎の研究の総決算と言えるものです。それは彼らの最後の同人誌であり、そして初めての小説でした。半生をかけて……犬達にとっては何世代もかけて行われた実験、その目的は、つまり、新たな神話という最上級の情報を、人の短い一生の間に生み出し、それを材料に小説を書く、ということだったのです。
 もちろん『八潮/八潮』もすでに「智慧」によって書かれています。しかし、重要なのは、繰り返しになりますが書くという経験そのものです。神話が形成されるプロセスに立会い、それを自らの言葉で語れるとしたら、それは素晴らしいことだと思いませんか?
 ひつじ舎はその後多くのフォロワーを生み、手法は洗練されていきました。学校で教えられるほどに、です。
 小説の書き方は人それぞれです。各々が自分に合った方法を見出すのもいい。ただ、私はひつじ舎の研究者としてこの講座で彼らの手法を主に教えることになります。参考図書ですが、児玉社より出ている『犬語基礎文法』は必須となりますので、初回の授業までに購入しておいてください。講座の性質上かなりの時間が犬語の習得にあてられます。そのため、それ目当てで作家ではなく獣医志望の学生がもぐりこんでいるという冗談もささやかれているとか。ためしに、怒りませんので獣医志望だという方は手を上げてみてください。あ……。えっと、作家志望の方は? あー…………。えー…………、皆様の希望に添えるよう、例年に増して犬語の習得を重点的に行いたいと思います。これでクリエイティブライティング講座のオリエンテーションを終わります。ご清聴ありがとうございました。
 

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