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はじめに

はじめに


 まもなく『45歳』のいう名の1年が終わる。自分自身の手で酷い1年にしてしまった。これまでも酷くしてしまった1年を数多く記憶に刻んできたが、この『45歳』という名の1年はそれらが霞むほど人生でもっとも酷くしてしまった年だった。

 もしも、あのまま裏切り者のユダと同じ方法で息絶えていたら。もしも、あのまま浮浪者になっていたら。もしも、あのまま餓死を選択していたら。もしも、あのまま明日以降の生命の営みをキャンセルする手段を取っていたら。このように、もしも、を並べて振り返るだけで、常にこの世界からの存在の消失と隣合わせで生きていた年だったことがわかる。

 それだけに、いま、この世界からの存在の消失を回避し、茨城県のとある田舎の一角で辛うじて生きている状況に感謝している。感謝のその理由の多くを一挙に語るのは憚れるので後々に書くことになるが、いま書ける理由として、母方の先祖が生きていた大分県に初めての足跡を残さねばならないし、亡父の生まれ故郷の青森県下北郡大間町に気楽な旅行者として再訪したいし、何よりも僕が骨を埋めるべき場所は、僕と亡母の生まれ故郷である山口県下関市であると決めていることだ。茨城県のとある田舎の一角でのうのうと死ぬわけにはいかない。

 『45歳』という名の1年を自分自身の手で酷い年にしてしまったのであれば、次の年の『46歳』という名の1年を自分自身の手で最も幸運な年にしたい、と望むのが一般的な願望なのだろうが、いまの僕の場合はそのような願望を持っていない。僕の持っている願望は、緩やかな再起だ。足を躓かせ、コンクリートの路上に倒れ込み、強かに打ち付けた痛みに耐え、痛みにしかめているとも自嘲とも見えるような表情を見せながら、ゆっくりと立ち上がるような、緩やかな再起だ。

 足を躓かせる前までの歩行速度を取り戻すのは、恐らくは『47歳』という名の1年が始まる直前か直後となると思う。緩やかな再起と歩行速度の取り戻しを時間と周りから急かされるかもしれないが、焦らずに生きていくしかないとも思う。

 まもなく『45歳』という名の1年が終わろうとしている。そして、まもなく『46歳』という名の1年が始まろうとしている。その終わりと始まりのどちらとも感じる今から、乱文雑文になりがちな文章を書き散らしていこうと思っている。

2023年3月28日 芦野 智亮 拝


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