2024年1月3日(水)
令和の菅江真澄
@秋田県 大仙市
ホテル富士でゆるゆる起床
布団の中で箱根駅伝を見る
遅めのランチを駅前カフェで済ます
個人経営の本屋さんへ、くどうれいん作品真ん中に鎮座、はたはたの写真絵本が気になる、個体数がすごく減っているみたい、興味深い内容
買った本は「転職ばっかりうまくなる」
お次は雑貨屋さんへ、若い女性の方が趣味みたいな感じで去年始めたお店、まちづくり活動もしてるみたいでお話を聞く、というか自分の方が喋ってしまった気がした
いきたかった珈琲屋さんは満席、雨も降りそうなので宿に戻る
17時に炭楽へ、みんな集合、ホルモンメインのタレいらずの焼肉、とっても美味しい
2軒目の真澄、店名の由来が気になる、もりそばを注文して提供いただいたタイミングで質問してみる、そしたらやはり菅江真澄からとったものだそうだ。そこから真澄トークで盛り上がり。明日行く角館で真澄終焉の地があるとの情報もいただく。愛知でも仕事でいたことがあるとのことで、田原図書館にもいきたくなる。
なんとあまりにもできすぎた展開。話に夢中で気付いたら注文したもりそばを全部食べられていた。。
まあでもまた来ればよい。絶対に再訪します、真澄。ゆっくりカウンターでお酒飲みながら真澄の話をしたい。今年は真澄のことをいろいろ調べたい。
3軒目のラッシュ、真澄の余韻をクールダウンさせる。
令和の菅江真澄とかいうワード、菅江真澄そのものになりたいわけではないのだ、三河岡崎に生まれ育ち、いろんな人との交流でいろんな知見を持ち、旅が好きで、30歳手前にして故郷三河を発ち秋田に辿り着く、そこには誰の影響もなくただ我が意志のみに基づいてのものだ。しかし秋田行きの直前に地元の図書館で菅江真澄について知り、奇しくも似たような生き方をしているのだ。
しかし、感動を覚えたのはその類似性だけではない。
菅江真澄という人物はたしか高校日本史で習ったと記憶していたものの、愛知や関西の知り合いにはほぼ名前が知られていない。ただ秋田においては菅江真澄という名前を出すと何かしらの反応が得られる。真澄が生きた当時においても、決して世間に広く名が知られるような華々しい功績を残したとはいえないだろう。ただ、それでも地道に真澄は生涯に渡り旅をし続け、記録を残し続けた。その凄まじき真澄の執念のともしびが、没後200年近く経とうとしてる現代の秋田に未だ継承されているのだ。この度秋田に来て、この事実に甚だしく感動している。
2週間にわたる秋田滞在期間のほとんどは飲食のお手伝いに時間を割き、真澄研究に費やした時間は限定的であった。けれども、いまをいきる秋田の人々の多くに菅江真澄が認知されているという事実を知ることができたのが最大の収穫であり、それにより私自身の真澄研究に対するモチベーションが飛躍的に高まったのである。
そんな思いをラッシュで言葉にしたことで思考が整理できた。よかったよかった。もりそば食べたかったけど。
本日の1曲
Say What You Will
Eric Clapton
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