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劇薬のPDCA(3ヶ月上達法)をやる




唐突ですが、私はクリエイターになりたいのです。


ところが、圧倒的に足りていないものがあります。それが何なのか。私にはわかっています。

自信と、それを裏打ちするほどの実力です。

…あ! 今、
『はぁ? なに言ってんだ当たり前だろ新米! つべこべ言わず動け! 後から付いて来んだそんなもんは!』って思いましたね?

そう…わかってんだ私にもよぉ(泣)
でもって、そう思われることを100も承知で書いた。


そう。何を隠そうこの私、死ぬほど凡人なのである。

何回言われても覚えないし、すぐに忘れたりするし、肝心なところで詰めも甘い凡人だ。

いや、全然構わない。むしろ何ならそんなことどーでもいい。


行動してさえいれば、大小はあれど誰もが力をつけられるようになるから。

ただ、その、一歩目。


一歩目が大事だって本当に思う。
何が大事かって、『踏み出そうとすること』そのものが大事だ。

べつに転んでいいと思っている。


転んだって、帰るにしても行くにしても起き上がるしかないのだ。
そしたらまた歩くしかない。

JPOPの歌詞に散々つかわれるような文だ。
誰でもたどり着く真理だからだろう。

けれど、その一歩目をなーんの躊躇もなく踏み出す事ができる人もいる。私は、そんな天才ではないらしい。

こんな弱音を書いてるのがいい証拠だ。

どこに行くべきか迷ったり、躊躇ったりで足がすくむ。

べつに踏み出せないわけじゃない。だって、どう考えても踏み出した方が絶対にいいからだ。

社会に10年もいれば、踏み出すのと踏み出さないの。どちらが自分にとって良い事かなんて、さすがに私でさえ気付く。

だから、自信が欲しい。  

一歩目を踏み出す自信が。

その自信は何に裏打ちされるのか。

実力だ。


じゃ、実力はどうやってつくのか。


努力から成る。


でもって、その努力は一瞬じゃいけない。


実力は、努力と時間の掛け合わせだ。

方向性の正しさを加味すれば、複雑な式になるかもだけど、たぶん「努力の度合い×時間数」で、まー成り立つはずだ。

時間数は、理解できる。

努力ってなんだ?


分かっている。


私は、絵と言葉をかこうとしている。

それにあたって、圧倒的に足りていないものがある。

絵を描く努力をしていない。

本当に追い詰められるほど、お前は絵を描いてきたか?

A.きてない

いやになるほど描いてきたか?

A.してない

6年ほどまえ、本当に一瞬の時期だっだけれど、小説家になりたかったと思った事がある。

誰も見たことのない話をみせて、楽しませたいと思っていた時期が確かにある。

ネットの小説サイトで書いてた。
モンゴル人の少年がオーストリアの悪魔の少女と劇団を作るファンタジーだ。

書くことをやめてしまったこともあったけれど、今、こうしてまた言葉を考えあぐねている。

そんなに成るまで、絵は描いてきたか?

A.描いてない

じゃダメだ。

Q.なんで

嫌いになってないからだ。


…は?

一度折れなきゃ、分からないからだ。

手放したいと思うほど追い詰められなければ、それがホントに手放すことが出来ないくらい、大事なモノなのか、分からないからだ。

小説を書く時に、思ったことがある。

どうして私は、こんな話しか書けないんだろう。


私自身に、もっと経験と知識と論理的な思考力があれば、この子たちをもっと鮮やかに動かせるのに…。

私がもっと政治に明るければ。
歴史を網羅できていれば。

紋章学、魔術、科学、化学、数学、心理学、解剖学、音楽、絵画、考古学、建築、語学、演劇…

すさまじい鋭角からの発想力と、狂気の沙汰としか思えないような知識量が欲しい。

日本という閉ざされた国に『ゴシック・ロマンス』をぶち込んだ、かの偉人に憧れた。でもって今も憧れ続けている。

あんな風に、ありとあらゆるものに精通することができれば…

そう思って捻り出そうとして、結局は足を止めてしまった。

けれど、書くことを捨て切ることも出来なかった。

おまえは、そんな何をしても手離せなかったという思いを、絵に対してしたことがあるか?

A.無いよ。……え、うそでしょ?


やれ。


自分と向き合え。
いやになるほど絵に向き合え。
あこがれる暇があるなら描け。

安心しろ。お前は嫌いにはならない。
言葉がそうだったように、何でも心から嫌いになることはできないタイプの人種だ。私が一番よく分かっている。

だから死ぬ気で描け。
うそでしょじゃないが。

そういえば、私は戦前の小説作家
『小栗虫太郎』に憧れていた。



中国の駐屯地でロシア軍人が謎を解く
『完全犯罪』
日本にゴシック・ロマンスを打ち立てた
『黒死館殺人事件』
あらゆる世界中の不可思議を冒険する
『人外魔鏡』
自分の小説の登場人物を描き直して再登場させる
『女人果』

どれも大好きだ。
確かに、彼にしか描けない世界だから。

『俺がやらなきゃ、誰がやる』

小栗さんは、そう息子に言っていたらしい。
残念ながら、第二次大戦が終わってすぐ逝去されてしまったけれど。

大丈夫だ。 


わたしも、逸脱した感性を自覚したまま、ずっと社会でふつーに溶け込んできた。

だから、絵を自分のものに仕上げることができれば、きっと私は感性を解き放てる。

いや、その上で、いっぱいの人を共感させる。

誰も見たことのない、面白い作品を見せる。

そう思ったから、私はクリエイターになりたくなったんだ。

アーティストじゃなくて、クリエイターだ。

変わらなきゃいけない。

最低限は努力をして自信をつける。

スキルを上げるしかない。

というわけではいどーん!!

3ヶ月上達法。

死ぬほど有名な練習法だ。

何なら私は、別に絵を描いていなかった時にすら、この練習法はなぜか知っていたように思う。

というか…そもそもー

絵を描いている人で、さいとうなおき先生の動画を見た事ない人なんて居るのだろうか…いや、居まい。(居たらすみません💦)

私は、スタート地点にすら立ててない。
スタート地点に最速で立つ。そのためにPDCAサイクルぶんまわすぞー!

おー!






正直ちょっとだけ怖い。

お客様からのクレーム改善案を出すのに、PDCA回すのもめちゃくちゃ時間かかるのに…そんな高速で、3ヶ月ぶっ通しでPDCA回せるか…?

って考える時間がもったいないですね!

…その前に本業の仕事終わらせますねー(心落ち着かせます)




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