火の国へ。
阿蘇駅で列車を後にして車を借りた。或いは観光案内所で今日の宿をおさえてから車を借りたのかもしれないが、ここかららしばらく旅の友は自動車になった。
ホテルはゴルフ場つき であった。案内係の女性は申し訳なさそうに、めぼしい温泉宿がいっぱいでと言った。
阿蘇山へは翌日登った。二百十日はとうにすぎている。有名な風景に出会って車を降りた。馬はいない。草原。いつの間にか季節は冬になっていた。
これは
この旅は、
今流行りの「聖地巡礼」だった、と今なら判る。
当時、けれどもその自覚はなかった。なかったように思う。よく思い出せない。
もちろん。
僕はあの「バス旅行」を映画の中ではなく、小説の中で行った。
それは表現方法が違っただけで、まったく同じ旅。
根源を求めて。
すべての根源を求めて。
すべての表現者が分け入ることになる芸術の森。
僕は言葉だけを武器(たより)に。
先輩(青山真治監督)は「映画」を矛に。
僕は、一人旅だったけれども、決して一人ではありませんでした。
一人ではなかった。
数え切れないほどの多くの先人たちの足跡が、森にはありました。
あったからこそ、
僕は
宝の箱を持ち帰ることが出来た。
人類で
初めて。
阿蘇の火口まで車を駆った。
そのときの僕がどんな気持ちで、噴煙をあげる大きな火口を眺めたのか覚えてはいないない。
僕の根源への旅が終わり、
パワーマック(コンピュータ)の前で、なんとか、所謂現実世界に戻ってきたときに感じた言葉(感想)は
でした。
意外であると、感じました。「平和になる?」
その時、その言葉の意味は分かりませんでした。
一人、「EUREKA」で三人がたたずんだのとその同じ噴火口に立つ僕にも、その意味は分からなかった。判りませんでした。
今なら判ります。
それが慈愛のプロジェクトです。
さて、次は何処へ行くか。
ユリイカ!
高千穂のあの幽玄な風景を現実に見に行こう。
そう思った。
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