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オフィーリア、オフェリヤ、オフェーリア。

さて、「オフェーリア」

これが書かれたのは1998年です。この年、平成10年の出来事をウィキペディアで覗いてみますと、なかなかに印象深い年であることがわかります。

横浜ベイスターズ日本一。このチームの日本一が経験出来たのはこの年だけなので、忘れようもありません。これは10月。

長野で冬季五輪があったのが、2月。

おっと。忘れてました。iMac。8月に初代iMacが発売されました。

そして、ミレイの絵の来日は1月でした。この絵を実際に観たのも、この時だけです。

しかし何故この作品は「オフェーリア」であって「オフィーリア」ではないのでしょうか。現在の普通で"Ophelia"は「オフィーリア」という片仮名になります。

「草枕」では「オフェリヤ」となっています。もちろん、それも考えたのですが、結局、採用はされませんでした。

ならば「オフェーリヤ」か?

いやいや、間をとって「オフェーリア」だ。

という過程を辿った末の題名であった、と思っていました。今回、この記事を書く迄は。

そもそも、この作品と僕の絵画鑑賞経験が、時間的に直結していたことすら忘れられていました。そういえばこの頃、この絵をどこかで観たんだっけな、というふうには理解していましたが、同じ年だったとは。

インターネットは本当に便利です。調べていろいろなことがわかります。

このミレイの絵を運んできた美術展も、いつ、どこでのものであったか、すぐ知ることができました。なんとチラシまで見つかりました。前世紀のチラシですよ。

おや、とチラシをみて気づきました。

「テート・ギャラリー展」の目玉は「オフェーリア」のようです。チラシの下半分を占めて印刷されている絵の下に小さく書かれた文字が、そうなっていました。

もしかすると、だから、かもしれないですね。いやいや、ただそれだけの話のような気がしてきました。自分の性格を鑑みると、それがいちばん考えられます。

そうかもしれない、そうにに違いない、いや、そうだ!

当時、調べ物は、ちょっとしたことでも、ちょっとしたことが、大変な労力を要しました。インターネットはありましたが、いまとは随分と様子が違ったのです。

さっき、この辺(あたり)のキーワードを検索で打ち込み、樹木希林さんや、天皇皇后両陛下(当時)が現れたのには、少しだけ驚きました。

少しだけです。

いつまでも驚いてばかりでは仕方ありません、よね。




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