見出し画像

西方仁也の主人公らしくない生き方に共感する

ヒノマルソウル
〜舞台裏の英雄たち〜

椅子から立てなくなるほどの余韻を初めて味わった。
エンドロールが終わっても涙が止まらず、ハンドタオルはびしょびしょだった。

当時2歳そこらの私には長野オリンピックの記憶がなく、南日本出身であることからスキージャンプという競技にも全く触れてこなかった私。
そんな私が始まって数分で泣いたのは、「ヒノマルソウル」という作品がスキージャンプという競技に重きを置いたスポーツ映画ではなく、スキージャンプを軸にした人間ドラマを描くヒューマン映画だったからだと思う。

主人公らしくない主人公


妬みや嫉み、どこにぶつければいいのか分からない怒りや後悔。
作中の西方仁也選手はそんな負の感情を抱えたまま、テストジャンパーとして長野オリンピックの会場にいた。

彼が拳を握りしめて見つめる先にいるのは、悪天候の中スタート位置につく原田雅彦選手だ。
「なんでお前が」そう口には出さないけれど、ぐっと堪えたその目は複雑な感情が入り交じったものだった。

原田選手がスタートして、一緒にいるテストジャンパーたちが興奮する中、後ろの方で静かにその行方を追いかける西方選手。
そして彼は「落ちろ」と、そう願う。

実話に基づいた物語であるから、このシーンは成り立つわけで、これがフィクションの物語であったなら、主人公はきっと応援の言葉をライバルに向かって投げかけたりしているんじゃないかと思う。

だからこそ共感して泣けてしまう。
私がその立場だったら、きっと同じことを願ってしまうだろうと思うから。

作中の西方仁也選手は決して「主人公」らしくはない。
終盤まで「なんで自分はここにいるんだろう」「どうしてテストジャンパーなんかやってるんだ」と悩み、もがき苦しんでいる。

苦しみ、そこから抜け出すまで時間がかかる。
でもそこに人間くささを感じた。
だって、誰しも落ち込んでから気持ちが持ち上がるまで時間がかかるものだから。

神崎コーチとの関係性


リレハンメルオリンピックが銀メダルで終わり、その後の記者会見を経て、長野オリンピックに向けての練習が始まる。

ここで神崎コーチが選手たち、特に西方選手や原田選手を煽りながら練習に取り組んでいたのが印象的だ。
「あいつを見返してやりたい」
そう感じる存在に、コーチはなろうとしていたんだと思う。

そのあと西方選手は腰を痛めているのを黙ったまま練習に参加し、大怪我を負った。
その時、きっとコーチには自分を責める気持ちもあったんではないだろうか。
「なんで我慢していたんだ」という西方選手への思いと、「どうして気づくことが出来なかったのか」という自分に対する苦い思い。
だから西方選手が「間に合わせる」と行った時、強く出れなかったのかなと感じた。

いつだって憎まれ役を買って出る神崎コーチだが、代表選考の結果が発表された中継を見ていたシーンで少し雰囲気が違う。
何を言うわけでもなく、バーカウンターにおいてあったウィスキーをグラスについで、その場から出ていく西方選手を見送る。
その背中に声をかけることもない。

神崎コーチがテストジャンパーを西方選手に依頼するシーンを見て思ったのが、きっとコーチは西方選手にスキージャンプをやめて欲しくないんだろうな、ということ。

西方選手のオリンピックに懸ける思いを、誰よりも知っていたのがコーチだと思う。
コーチは代表選考に落ちた西方選手の姿を見て、西方選手は今のままだとスキージャンプを辞めてしまうのでは?と感じたんじゃないだろうか。
そして西方家のリビングでの会話。
まるでスキージャンプを続けるんだろ?やめたりなんかしないだろ?と問いかけているようにも思う。

舞台裏の英雄たちに捧げる

西方選手にフォーカスが当たっているだけで、この物語はテストジャンパーに選ばれた25人全員が主人公だ。

飛ぶことを一番最初に提案したのは唯一の女性ジャンパーである小林選手であったし、最後の最後まで西方選手は飛ぶことに抵抗を見せているように感じた。

最初に飛ぶのは南川選手。
怪我のトラウマが消えていない彼は「誰あのために飛ぶ」という西方選手の何気ないアドバイスを思い出し、テストジャンパーたちのために飛び立った。

そのあとに続いて皆が飛び立つ中、高橋選手も飛ぶ。
高橋選手の中にあった「歓声が聞こえない」という寂しさ。「歓声が聞こえる」西方選手から聞いた話を、きっと彼はずっと抱えていたんだと思う。
そして飛び立って風を受けている中、聞こえないはずの彼の耳に届いたのは、観客の歓声や拍手ではなく、仲間たちからの歓声と健闘を称える声だった。

順調にテストジャンパーたちが飛び立つ中、バーの強度確認(?)のために高さがさらに上がる。

上がってから最初に飛ぶのは、女性ジャンパーである小林選手。
西方選手は彼女に飛ばないよう説得するが、彼女は力強い眼差しで飛ぶ意志を見せ、「私、西方さんの弟子ですから」と彼に向かって言い放つのだ。
そうして飛んだ彼女は見事な飛躍を見せて着地。スキージャンプに反対していた父親の心配そうな目が喜び、そして安堵の涙に変わる瞬間がとても印象的なシーンだ。

そしてアンカー。
西方選手である。
「落ちろ」と願ってしまったことを後悔していた彼は、飛び立っていくテストジャンパーたち24人の姿見ていてやっと、自分の中の気持ちと向き合うことが出来た。
「俺が、原田に金を獲らせます」
この言葉にはたくさんの意味が込められている。
日本の金メダルのため、リレハンメルオリンピックでの失敗ジャンプで四年もの間苦しめられてきた原田選手のため、そして、今まで一緒に裏方としてテストジャンプを飛んできた24人のため。
そうして飛び立った西方選手の前に広がったのは、初めて飛んだ日に見たあの感動と同じものだった。久しぶりにスキージャンプを「楽しい」と思いながら飛べた瞬間だった。

西方選手が見事なジャンプを見せ、競技続行が決まった瞬間、下で待っていたテストジャンパーたちは一斉に西方選手の所へと駆け出し、その健闘を称える。
けれど、観客たちは何故競技続行が決まったのか分からない。しかし、歓声は上がる。
それがテストジャンパーに向かうことは無かった。

そのあと原田選手のK点超の大ジャンプにより日本が金メダルを獲得すると、さらに大きな歓声が沸き起こる。
テストジャンパーたちは金メダリストのインタビューを眺め、西方選手が茶々を入れながら和やかな空気でその姿を見守っていた。

なにかに気付いたようにテストジャンパーたちの輪から抜けた西方選手が向かったのは幸枝さんと慎護くんのもと。
「やめるのをやめる」ことを告げた西方選手を迎え入れる幸枝さんの温かさが心に沁みた。

慎護くんからかけられた時の雪印6Pチーズの箱で作られた金メダルは、どの金メダルにも負けない輝きを放っていた。
思い出しただけで泣いてしまうシーンだ。
この瞬間、息子に金メダルを見せられないことを悔いていた西方選手が報われた気がした。

映画の最後、そしてパンフレットの最終ページにも、同じことが記載されている。

「舞台裏の英雄たちに捧げる」

この物語は決してオリンピック賞賛映画でもなければ、誰かの栄誉を称えるものでも無い。
スポーツや芸能はもちろん、日常生活を送る上で日々頑張る「舞台裏の英雄たち」に捧げられた映画である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?