幸せになるために生まれてきたわけじゃないです

「私たちは幸せになるために生まれてきたんだよ」みたいなセリフをよく聴きますよね。
「私の幸せは〇〇です」みたいなセリフを普通に聴くことも多くなりました。
これは「個人の幸福を求めて生きても良い」という豊かな時代になったという証左かもしれません。
現代の我々からすると「え?幸せになるために生まれたなんて当たり前でしょ?」と思うかもしれません。

しかし、そんな豊かな時代は実はここ百年くらいであって、昔はそうじゃなかったのです。

人は集団じゃなければ自然界を生き抜いて来れなかったからです。

集団からはぐれた個人はすぐに命を落としたでしょう。
人は群れる事で外敵から守り、種を繋いできたのです。
群れる事が心地よく感じるように遺伝子に組み込まれているのでしょう。

人間の本能に「群れる」という事が組み込まれているのだと思います。

しかし、豊かな時代になって個人主義という考え方が出てきました。
個人はそれぞれの幸福を求めて生きる権利がある、と。

この考え方には文句があるわけではなく、良い時代だなと思っております。
しかし、残念ながら人間は個人の幸福を求めて生きるようには作られておりません。

群れる事で生き残ってきた動物ですから、群れずに孤独でいると「うつ病」みたいな症状が現れても不思議じゃありません。

ていうか、うつ病は「人と群れなさい」という「孤独という危険」を知らせるサインなのかもしれません。

現代でも、個人で幸せになろうだなんて自己中心的な考え方を抱いていたらたちまちうつ病になってしまいます。
うつ病にならずとも自己中心的という考え方は豊かな精神状態とは言えないのではないでしょうか。

皆さんは常識として刷り込まれているかもしれませんが、
「人は幸せになるために生まれてきた」んじゃないのです。
「誰かを幸せにするために」生まれてきたのです。
(自己の)幸福を求めて生きるから、幸福になれない。という不思議な矛盾が存在するのです。

「誰かの幸せが、自分の幸福である」そのように考える方が精神にとって健全なのです。
利他主義。
利他主義は世界を救う。
「幸せ」とはぶっちゃけ他動詞的存在なのです。
人様に使うべき言葉なのです。

誤解しないで欲しいのは「(あなたは)自己の幸せを求めて生きてはいけないよ」と主張したいわけではないのです。
私自身が「誰かを幸せにするために生きよう!」と想っているだけです。
現状あなたが幸福だと思っていらっしゃるなら何ら文句などございません。

ただ、もし、何か「虚しさ」みたいな気持ちを感じているなら、利他主義に振れても良いんじゃないかなと思います。

正直、私は自分が美味しい物を食べても、ちっとも楽しくありません。
(自分一人であれば粗食で構いません。)
自分がおしゃれをしても何も気分が良くありません。
一人でゲームをしても、映画を見ても、面白くないです。
誰かに伝えよう(伝えて良い気分になってもらいたい)と思うから、本を読んで勉強をしたり、こうして文章も書いている次第であります。

人生を間違えてはならない。
「私は誰かのために生きている」ということを肝に銘じてこれからも頑張る次第であります。
因果応報じゃないけど、そうして生きると巡り巡って自分も気分が良くなりますよ。

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