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正解は出題者が定義する

友人のFacebookへの投稿で、「電車のモニターに出たクイズ「海に面しているのに島が無い都道府県は?」分かった! 島ねー県だと思ったら違った(--;)」というのがあった。JR東日本のデジタルサイネージ・トレインチャンネルで、スーパーマリオのクイズのシリーズがあるのだが、一時期出題されていたものである。

みなさん、正解はわかるだろうか。

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ちょっと日本地図を思い浮かべて海岸線にそって、端から順番にチェックしてみよう。

大阪くらいだろうな、と気がつくし、実際、それが出題者の求める正解なのだが、人工島を含めるかどうかが迷うところであろう。関西空港島を島とみれば、大阪府でもないし、該当する都道府県はない、ということになる。人工島を島と見なさないのであれば、大阪府が該当する。しかし、とはいえ、人工島といっても立派な島なのではないか。定義の問題ではある。Wikipediaによれば、

海洋法に関する国際連合条約(国連海洋法条約)第121条では、
  自然に形成された陸地であること
  水に囲まれていること
  高潮時に水没しないこと
の3つの条件を満たすものを「島」と定義している。

とのことである。この定義によれば、関西空港のような人工島は島ではない。クイズの前提として「島の定義は、国連海洋法条約によるものとする」というのが暗黙の了解とされているわけだ(*1)。これは出題者の意図である。もうひとつ、出題者の意図として、このクイズは、いわゆるトンチではない、というのもある。

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正解は出題者が定義する。

つまり、問題は常に出題者の意図のもとに提示され、意図にそったルールと環境という、暗黙のあるいは明確化された了解と前提があって成り立つのだ。したがって、正解とは、出題者の意図にそった回答であり、回答者は常に問題から出題者の意図を読み取ることを要求される。むしろ問題を提示する意図を考えると、回答者に求められるのは出題者の意図を読むことのみだと言ってもよい。

出題者には意図があり目的があり、だからして、採点基準があるのだ。

逆に出題者は意図と目的からはずれた出題をしてはいけない。目的を達成できないからである。大学入試選抜試験はその学校に入るのにふさわしい基準をクリアしている学生をきちんと選り分けるように出題されている必要がある。求める知識の広さや解法の範囲といった、いわゆる難易度はもちろんのこと、前提条件やルールも適切である必要がある。

また、出題者は意図が読み取れない出題をしてはいけない。これによっても、出題する目的を達成できない。たまに何を問うているのかわからない問題、というのも本当にある。問題文の中に少なくとも求める回答の観点が明示されなければ、得られる回答がばらばらになってしまうため点数の差がつかない。

もちろん、問題文を読み取る読解力が回答者には求められる。小さいころ、算数の点数を上げるためにも国語をしっかり勉強しなさい、と誰かに教わったことがある。これはこれで至言だと思う。ただし、目的に鑑みてふさわしい読解力をも試しているということもできるので、これは暗黙の前提条件としてよいだろう。

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予備校の有名国語教師が、あるとき、4択問題の解説の際に、「この問題、1が正解だと思う人?」と私たちに質問した。ぱらぱらぱら、っと手が挙がる。「2が正解だと思う人?」またしてもぱらぱらぱら、っと手が挙がる。3、4、と同じくらいの人数で手が挙がった。先生、表情を変えずに一言。

「こういうのを悪問という。」

国語の問題は特に、出題者がそれを明確に意識しないと悪問が出来やすい。数学のような解釈の余地がないように組み立てられた学問で正解はただ一つと思われる分野でも、そうでもない。

たとえば、次のような問題を考えてみよう。

{1、2、3、□、5} という数字の列がある。□にあてはまる数字は何か。

たいていの人は、何言ってるの、簡単じゃん、4に決まってる、と答えるのではないだろうか。しかし、高校までの数学を習った人で少々理屈っぽい人なら、-2  でも正解ですよ、なんとなれば、どんな数字でも正解です、と言うだろう。これまでの私の文章を読んでここまでたどり着いた文脈を共有している人ならば、なおさらである。

これは、一番目の数字、2番目の数字、・・・という、1, 2, 3, 4, 5, という数列 x に対して、y = 1、2、3、□、5という数列にそれぞれ対応づける関数 y = f(x) を考えるとしたときに、たとえば、f(4) = -2 となるのは、4次の方程式を考えれば作れる。こんな感じだ。

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同様に考え、次数を5次にあげると、f(4)を任意の値にすることができることはすぐにわかるだろう。 たとえば、f(4)=2の場合はこんな感じになる。

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第一項の -22/6 の値を変えてやれば {1, 2, 3, □, 5}の□をどんな値にでも変えることができる。

しかし、小学生で数字を習いたてのわが子の宿題に上の問題が出されていたとしたら、そういうことを考えてしまう人だって、わが子にそんなことは言わないだろう。もちろん、出題者の意図は、 1, 2, 3, 4, 5 という数字を覚えたか、数字の大小関係と順序を把握したかどうか、を試したいのであって、既知の何点かを通る多項式の作り方を試したいわけではないのである。

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もうひとつ上の次元から考える、あるいは、枠をはずして考えることで、無限の正解がある。それはれっきとした数学や物理であったり、あるいは哲学であったりするわけだし、禅問答とかトンチでもあったりする。そんなの常識だろう。ビジネスでも、単なる logical thinking では正解は得られない、としたり顔で言う人も多いし、もう10年前かそれ以前から、 out of the box という言葉をよく耳にする。

とはいえ、実行可能性も考慮にいれたとたん、枠を広げて考えるといっても限界がある。執行可能な予算の枠や人的リソースの制限、法制や標準化の枠、なども関係するところが現実のつらいところである。

現実の世界に働きかけ、現実の世界から反応が返ってくる。その中で始めて正解か不正解かが、結果として思い知らされるのだ。それは、周囲の人との関係や、働きかけの範囲、今いる世界の背景や歴史、さまざまな前提条件、の網の中で決まってくるし、これらの要因はしばしば、時間の経過とともに変化するものなのである。

自分が知っている前提条件を忘れてしまったり、問いの立て方がまずかったり、制約事項や正解の定義の理解が相手と異なっているだけなのに、声高に「私が正しい」とばかり主張しないようにしたいものである。


(*1) 人間が作った陸地であっても、人間も自然の中にあり、遺伝子と物質ととりまく自然に規定されたものであり、人間の活動も自然の中の一部ともいえるので、人工島も自然に形成された陸地である、と言うこともできる。が、もちろん、それは出題者の前提でも、条約の前提でもないことは言うまでもない。

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