岡崎署勾留障害者暴行死事件ー論点③

論点③ そもそも、逮捕容疑が成立するかどうか

逮捕容疑が、公務執行妨害なのですよね。公妨というのが、個人的には、なんとも引っかかります。

警察官は危険な現場に足をふみ入れるわけですから、当然、警察官自身の身の安全を守る法令が必要です。脅迫や暴行に対して、一般より優遇して保護されることは当然でしょう。

しかし、当事者は障害者手帳2級をお持ちの統合失調症の持病のある方でした。

当事者がどのような行動をし、どのような状態になったことで、逮捕に至ったのか。逮捕時における詳細な様子が報道されていないので、わからないですが。以下、推論するしかなく、想像の域ですが。今後、逮捕に至った状況も当然に公表すべきです。


「もともと罪を犯したのは当事者だから、この事件の責任の一端も当事者にある」という主張がなされることが予想され、当事者の尊厳や権利擁護の視点から、このような主張には反論していくことが必要でしょう。

まず、公妨で逮捕に至った職務執行そのものが、適正であったかどうか、再考する必要があるでしょう。

見た目には法律違反に思えても、実は、本人の障害特性から生じた犯罪の意図のない行動として、刑事責任を問うべきでないケースもあります。


例えば、不審者と誤認された知的障害者が、押さえ込まれ制圧を受け、死亡した事件(2007)における判決では、佐賀安永民事訴訟(福岡高裁判決.2015)

「警察職員には知的障害者に対してその特性を踏まえた適切な対応をする一般的注意義務がある。職務の相手方が知的障害者であると認識している場合、警察職員には、知的障害者に対し、ゆっくりと穏やかに話しかけて近くでも見守るなど、その特性を踏まえた適切な対応をすべき注意義務があること…。職務の相手方が知的障害者であることを認識していない場合も、相手方の言動等から知的障害等の存在が推認される場合においても上記注意義務を負う。」
このように、障害者と接する際には、警察官に注意義務があることを認定しています。

今回の事件ではどうでしょうか。

当事者と接した際に、警察官は、障害に配慮した一般的注意義務を果たしていたかどうか。
また、障害特性に応じた合理的配慮(障害者差別解消法)を提供できていたかどうか。
このことを検討したうえで、果たして適切な職務執行であったかどうか、再考する必要があるでしょう。

そして、もしも、違法な職務執行であったならば、逮捕そのものが違法なものとなります。
不当な逮捕で、不当な勾留がなされ、不当な身体拘束と暴行を受けたことで、死に至ったという、当事者にとって極めて有益なセオリーが成立することになります。


刑法38条「罪を犯す意思がない行為は、罰しない」、同39条「心神喪失者の行為は罰しない」とされており、責任能力の有無も争点になるでしょう。

※ちなみに「心神喪失」といった言葉は侮辱的で用いるべきでないと国際的にはなされているようです。
※「精神障害」の言葉も、本人のみに原因があるようで侮辱的とのことで、本人と周囲の社会の接点に障害があるということで、「心理社会的障害」と呼び改めようと国際的になされています。


福祉の現場では、「地域共生社会」という言葉がキーワードとなっています。障害のある人、認知症の人、子どもなど全ての人が、住み慣れた地域社会で安心して暮らせる社会をつくろうというスローガンです。

今回の事件は、地域共生社会の流れに逆行する事件であったと思います。
警察官が、精神障害者に、今回の事件のような対応や関わりをしていては、障害者は地域で安心して暮らすことができません。今回の事件は、精神障害のある全ての人に、不安や恐怖を与えたでしょう。その意味で、今回の事件は、障害者に対する攻撃と私は考えています。

弱い立場に追い込まれやすい人も、住み慣れた身近な地域で安心して暮らしていける、インクルーシブな社会をどのように構築していけばいいのか、このことが、本質的な部分で、今回の事件で問われているように思います。

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