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同時代性と、何度か調べてみること。

自分が「知識」と思っているものは、拠り所ひとつで、どうにでも変わります。
 
単純明快な勧善懲悪モノと思って読んでいたけど、時が経って再読したら見方が変わる。参照する書籍の詳しさ、立ち位置次第で、好き嫌いや、結論すら入れ替わったりする。
 
『西遊記』や『三国志』が、その典型かなと思っています。
 
 
「実際の玄奘三蔵は、出発前に太宗との謁見がかなったわけではありませんが、帰国した際には盛大なもてなしを受けています。太宗が仏教を大切にしていたのは事実で、拓跋国家は、仏教をあつく保護していました」
(『出口治明 特別授業『西遊記』』より)
 
 
「...え?そうだったの?」とすくなからず驚いたくだりです。
 
 
ざっくりとしたイメージとして、
 
①当時の唐は、老子(同じ李姓)を尊び、「道先仏後」と言って道教が上位だった
 
②例外として、武則天が(自分を正当化するために)仏教のステータスを引き上げた
 
③太宗は玄奘の出国を許可しなかったが、経典を持ち帰ったら対応を変えて賞賛した

 
という理解をしていた。
 
つまり、
仏教を軽んじていたが、玄奘が無視し得ない功績を立ててしまったので、態度を変えた
のだと思っていた。
 
 
さらに話は、
 
1.各帝国は「易姓革命」といって、天命により政権が替わる、という理屈を用いた。この場合、天命を受けるのは中国人=漢民族、の前提があった
 
2.拓跋国家(北魏→隋→唐)は北方の騎馬民族であり、漢民族ではない。したがって彼らには「漢民族→天命→易姓革命」という拠り所がなかった
  
3.そこで、仏教の「鎮護国家」の思想を利用することにした。皇帝=廬舎那仏、軍隊・官僚=菩薩、人民=救いを求める衆生だ、という理屈である

 
とつづきます。
 
南北朝の北魏の時代に仏教思想が持ち出され、つづく隋や唐も(武則天に限らず)仏教を大事にした、というわけです。
 
この時代、(漢民族である)南朝の梁でも仏教が政権(皇帝)によって重用された。
杜牧の『江南春』に「南朝四百八十寺」、つまり南朝には多数のお寺が建てられた、という話が登場します。緑、紅、白、青。コントラストの効いた、文字どおり色あざやかに描き出された詩です。
 
 
 
出口さんはまた、「歴史の同時性(同時代性)」を指摘しています。
 
 
玄奘三蔵の取経の旅は、時代に恵まれた。
唐では太宗(李世民)、インドではハルシャ・ヴァルダナという有能な君主があわわれた。治世が安定していた。 
玄奘が出発して戻る間、インドに滞在する間、政権交代(革命)がなかった。
 
強力な保護者が交代せず、治安も継続的に良く、無事に目的を果たして帰国できた。玄奘以外にも取経に挑戦した無名の人物が多くいたが、"偶然"により、玄奘が名を成した。
 
 
もちろん「玄奘が単なるラッキーボーイだった」と言っているのではない。
後世に名が残るには、能力や意思や計画性に加えて、偶然(運)が大きく影響するものだよ、と言っているわけです。
 
 
同時性=偶然のめぐり合わせは、生きていると、また仕事をしていると、しばしば感じる現象。
「これって何というんだろう」とボンヤリ考えていたけど、「同時代性」という言葉を知って、すっきりした。
 
 
有名で魅力的な歴史上のできごとを、「必然だった」「運命だった」と捉えるのは簡単だ。

面倒くさがらず、原著に近いところを調べてみる。「あんがい偶然の産物だったのかもしれない」という視座を手に入れることは、非常に重要で、有益なことだと思っています。

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