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本当だろうか?と立ち止まってみる。

「科学的根拠のあることか?」ということを、ときどき考えるようにしている。

「母数は十分か。抽出は無作為か」
「結論をさきに決めていないか」
「利害関係がそこにないか」

といった観点のことだ。

尊敬する人、恩義のある相手、親しい友人だったりすると、情がからむから案外むずかしい。

対人関係と、事実確認とを、感情的に切り離す。峻別する。

日本人は、というと大くくりにすぎるけど、少なからぬ人が苦手な分野だと思う。


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科学的根拠のことを「エビデンス」と呼ぶ。最も信頼できるエビデンスを「エビデンスが強い」、あまり信頼できないエビデンスを「エビデンスが弱い」と表現する。

たとえば医学研究は大きく①ランダム化比較実験、②観察研究の2つに分けられる。一般的に①から得られた研究結果のほうが、エビデンスのレベルが高いとされる。

ランダム化比較試験よりも強い、「最強のエビデンス」が「メタアナリシス」。複数の研究結果をとりまとめた研究手法である。

メタアナリシスには、複数のランダム化比較試験をまとめたものと、複数の観察研究をまとめたものがあり、前者のほうが強いエビデンスである。
(『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』)
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エビデンスとはそもそもなにか、信頼度、確からしさとはどういうことか。
学校で習った記憶がない。

そういう言葉があるかわからないけど、「エビデンス・リテラシー」が低いのだろう。 
 
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2001年に成立した「落ちこぼれ防止法」の中で、実に111回も用いられている象徴的な言葉があります。それが「科学的な根拠に基づく」というフレーズです。この法律によって米国の教育政策は大きく舵を切ることを余儀なくされました。(中略)これを、「科学的根拠に基づく教育政策」または「エビデンスベースポリシー」といいます。
 
それ以外の方法はランダム化比較試験よりも下位に位置づけられており、中でも専門家や研究者の「意見」や「考え」はもっとも階層の低いエビデンスとして扱われています。テレビなどで教育評論家や子育て専門家が「私はこう思う」と発言しているのは、エビデンスとしては、もっとも階層が低いのです。 
(『「学力」の経済学』)
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専門家や研究者の「意見」や「考え」はもっとも階層の低いエビデンスとして扱われる
のくだりが衝撃だった。

ふだん、仕事やくらしのなかで、
 
・「専門家の考え」が最上位
・「経験者の意見」が次点
・「複数の賛同」がその次
・「個人の直感」が最後
 
ぐらいの感覚でいるように思う。
前提とするテーブル、戦っている土俵がまるで違うのを感じる。


「専門家や研究者の考え」
がもっとも低階層、ということは、
「専門家でない人間の意見」
は、ほぼ価値がない
ということになる。
 
たとえば、
職責上位者というだけで、「オレに言わせると~」と"感想"を述べる。
たとえば、
年長者というだけで、「反対だ」「とんでもない」と"自説"を主張する。

「エビデンスベースポリシー」を是とするなら、これらには重きをおく根拠がない。

「科学」は、いくつかある、人間の意思や精神のよりどころの一つにすぎない。しかし現在のところ、もっとも勝率の高い一つでもある。

「因果関係がある」と思っている事象は、「相関関係」に過ぎないことがある
・そしてその検証は、高度な技術や、多大なコストをかけずとも試せる方法がある
・したがって、検証する努力をせずに、うのみにする、拒絶するのは危険である
 
そういったことを説く良書は、多数派ではないけれど、探せばみつかる。


意思決定するときに起こり得る過誤は、

A.相関関係と因果関係を間違えて、誤った対策をとる
B.有意な差を誤差と考えて、取るべき対策を取らない

のどちらかだと思う。

間違った方向へ進むことも、行動せず何もしないことも、同じ程度に危険な行為だ。
 
 
本当に効果があるのか。相関関係ではないか。単なる偶然ではないか。
 
疑問を持つ能力は、かならず役立つ


因果関係とか統計は、人生に大きく影響するわりに、ちゃんと教わってこなかったと思う。


本当にそうだろうか?

と、いちど立ち止まる習慣は、持たないよりは持っておいたほうがいい。

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