忘備録Vol.1 〜父の話〜

 父は徳島県美馬郡貞光町出身です。残念ながら現在はその町はありません。市町村合併にて「つるぎ町」と名前を変えました。この地域には剣山という山があり、恐らくそれが町名の由来になったのでしょう。

 父はこの剣山という山が好きな様で、よく仲間たちと登っていた様です。そんな父は変わり者で、高校卒業して就職した建設会社を3ヶ月程度で解雇されています。理由は、自転車旅行を計画し1月半無断で会社を休み関西方面を旅行していたからです。旅行を終えて会社に戻ると机がなくなっていたそうです。そんな父は実兄の就職(宮崎県延岡市)に合わせ、家族総出で移住し、実兄と同じ会社に就職をします。その最中に出会い、結婚したのがうちの母です。やがて長男である私が生まれます。「命名 弦樹」。読み方は「つるぎ」です。大好きな山に因んで名付けられました。

 父は東京オリンピックを2度観戦した世代です。1度目は中学生の頃だそうです。同じ年に修学旅行があったそうですが、父と友人2名はその修学旅行に行ってません。父と友人たちは親が捻り出してくれた旅行費を着服し、修学旅行の期間中ずっと実家の押し入れに隠れていました。段取りは以下の通り。

①3人とも旅費は学校に支払っていない。②学校から催促があったが当時家に電話がないため先生は口頭で父たちに催促をしていた。③父たちは出発前日にはもっていくと答えた。④出発前日から学校を休む。「体調が悪い為修学旅行も行けません」と連絡する。⑤着服した旅費で数日間押し入れで過ごすための食料を購入。⑥出発当日「行ってきます」と元気よく家を出て、集合し、親が留守にしている時間帯を狙い家に戻り押し入れに隠れる。

といった感じです。最終的にはバレずにこの計画は実行達成されました。父たちの凄いのはちゃんと旅行に行った証拠を作っているということです。⑤の時にあるものを購入しているのですが、お分かりでしょうか?言い忘れましたが父たちの修学旅行先は東京です。要は東京に行った証拠作りをしたのです。

父たちは無事に押し入れで過ごし、修学旅行の最終日にしれっとした顔で「ただいま」と家に帰ったフリをします。そこで「はい、お土産」と⑤の時に購入した「東京オリンピック記念パッケージビール」を親に渡したそうです。行き先は東京なので、どこでも売っている記念パッケージの商品で十分証拠になると思った様です。一件落着と済むはずでしたが、親はある質問をします。「どうやってお土産を買ったのか?」と。お恥ずかしい話ですが、父の家はドがつく貧乏で修学旅行の旅費はなんとか準備ができたのですが、お小遣いまでは父に渡せなかった様で、お小遣いを持ってない者がなぜお土産を購入できるのかと問い詰められ、最終的にはバレてしまいました。

父たちは覚悟を決めました。絶対に怒られる。親は戦争を生き抜いた世代です。子の叱り方はハンパではありません。父は理由を問われたので「教科書が欲しかった」と答えました。そうです。ド貧乏の父は学校で使う教科書をもっていなかったのです。親はそれを聞いて流石に怒ることはできませんでした。一緒に実行した友人2名も理由は同じでした。

最近、物を買う時によくこの話を思い出します。「簡単に買おうとしてるけど、これって本当に必要か?」という論理です。だから私は(消耗品は別として)この理論に欲が勝った時にしか購入をしません。その方が後々「あ〜買ってよかったな」や「あ〜買わなくて正解だったな」となり、身の回りに無駄な物が減ってくるのです。そして物の有り難みが分かる気がします。自己満足なんでしょうが、私はそれで良いと思っています。

今、欲しい物があります。トートバッグです。あと3回くらい商品を見て欲しいと感じ、今使っているバッグを処分する覚悟が決まれば購入します。




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