見出し画像

社会科授業で好奇心を育てる①

私自身が社会科授業をするうえでこだわっていることは【生徒の好奇心をいかに引き出すか】です。

現代は、情報化した社会。

常に新しい情報であふれています。

今日あった情報も明日になれば一般化し、次々と新しいものが生み出される社会になっています。

これからの世の中では

【自ら積極的に行動し、情報や経験を得て、「自分」というフィルターを通して世の中に発信し続ける人】

がより多くの価値を生み出すことになるでしょう。

もちろん全ての人がインフルエンサーになる必要はありません。
しかし、自分が生きる社会を良くしていこうと考えたときに、学び続け、それを行動に移そうとする力は、より多くの人を幸せにすることにつながると思います。

私は社会科の授業自体、
「現代社会にいかにアプローチできるか」

だと考えています。
地理・歴史・公民、全ての分野を通して生徒が生きる「今」にどうつなげていくか。

しかし現代社会は常に変化し続けているもの。
この変化し続けているものをどのようにして捉え、学び続けるか。

その全ての原点が「好奇心」になってきます。
好奇心は、心のエンジンでありガソリンのようなもの。この好奇心があるからこそ、思考ツールや資料などの手段を使って道を切り開くことができるのです。

この好奇心には大きく分けて3つあります。
① 拡散的好奇心
 【全ての好奇心の源。いろんな方向に
  発生していく「知りたい!」という欲求】
② 知的好奇心
 
【さきほどの拡散的好奇心で興味を持った事象
  を「深めたい!」という欲求】
③ 共感的好奇心
 
【他者の考えや感情を知りたい!という欲求】

多くの授業で言われる「好奇心」とは②の知的好奇心を示すことがほとんどだと思います。

この知的好奇心を促すには、①の拡散的好奇心を②の知的好奇心に変える必要があります。
ではどのような時に拡散的好奇心が知的好奇心に
変わるのか。

それは

A:推測と現実の不整合がいい感じに起きる。
B:情報の不足がいい感じに起きる。
AやBの状態が起きたときに拡散的好奇心は知的好奇心へと変わりやすいのです。


Aを社会の授業に置き換えてみましょう。
例えば、ある写真を見せます。その写真の一部を切り取り、「これは何の写真か」と予想させます。
その断片から生徒は予想し、今までの記憶や知識をたぐって考えます。
そして答えが出た時に「あー、そういうことか!」や「予想した通り!」となったり、「全然わからない…」などの反応を起こします。

この時【自分が予想したことと答えのギャップ】が大きすぎず、小さすぎず、いい感じに起きたとき
知的好奇心は深まっていくのです。

「予想した通り!」や「全然わからない…」よりも
「あー、そういうことか!」が知的好奇心を深めていくことはおわかりになると思います。

別のパターンでも考えてみましょう。

自分が「当たり前だ」と思っていたこと(日常から推測していたこと)が、現実とは不整合があった。
という時にも、同じことです。

例えば昔の堤防の写真を見せます。
その堤防はところどころがつながっていません。
生徒は「壊れている」と予想します。
生徒の頭の中では「堤防は水を防ぐものだからつながっていて当然」という推測があるのです。

しかし写真を提示していくと、壊れたのではなく最初からそのように作られていたことがわかります。

このような形で推測と現実の不整合が起きたときにも生徒の知的好奇心は刺激され、
「なぜそのように作られたのだろう?知りたい!深めたい!」という欲求が大きくなっていきます。

前者で授業を行うメリットは「誰でも参加できる」ということです。いわゆるクイズのような形になります。授業の序盤で全員に参加させたいというときには有効でしょう。なぜなら知識があることを前提としていないからです。しかしこれを連発すると、ただの「答えをあてる」行為になりかねません。

より思考を深めたいときには後者の発問になってくると思います。
後者の発問の方が、より生徒の思考を広げていく形になっていることがわかると思います。それは答えの形が「1つではなく無数に広がっている」からです。生徒は「知りたい!深めたい!」という好奇心をガソリンとして、地図や思考ツール、資料などを使って答えを追い求めていこうとするのです。
この過程こそが本当に意味のあるものだと私は考えています。答えを追い求めていく姿勢を持つことは「生きる力」につながります。

しかし後者の注意点は【前提とする知識が必要になること】です。「堤防は洪水を防ぐもの」「洪水は多くの人々にとって災害になる」という知識は前段階で習得しておく必要があります。
つまり教師は、推測と現実の不整合をいい感じに起こすために生徒が今どの程度の知識をもっているのかを知っておく。または、その発問をするために生徒に知識を習得させる必要があるということです。

(ちなみに堤防のスキマをあける理由は、そこから適量の水を流してあげることで堤防の決壊を防ぐためのものです。また適度に栄養を含んだ水は、そこの農作物を育てる肥料にもなります。)

そこの前の仕込みを十分に行い、かつ知的好奇心を深めるような質問を行った授業に取り組むことで
生徒の好奇心は育ち、授業も社会も「自走」できる人に成長していきます。

一度、好奇心が育った大人は「自ら動き、調べる」ようになります。
そのような状態で習得した知識と、教師から伝えられた知識では定着率にも、もちろん差がでます。
しかし、なによりも現代社会を生き抜き、よりよい社会を作るうえで、このような基盤を作ることのできる授業を行っていきたいと考えています。


次回は、情報の不足とそもそも拡散的好奇心を育てるにはどうしたらよいのかということについて考えていきます。

参考文献
「子どもは40000回質問する」 
イアン・レズリー 光文社
「澤井陽介の社会科の授業デザイン」
澤井陽介 東洋館出版社

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?