鈴白 凪

たまに小説や詩を書きます。

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短編小説『私と彼女の話』

 扉を開け、重たい一歩を踏み出す。  一歩外に出た途端、予想以上に冷たい風が通り抜け、私は首を縮めた。いつの間にこんなに寒くなったんだろう。少し前まで、うだるような暑さに悩まされていたというのに。もう少し温かい服装にした方が良かったかな、と少し後悔する。日によって気温がコロコロ変わる季節の変わり目は、いつもこうやって服装に悩まされる。しかし、着替えに戻るほど時間の余裕はない。そもそも今着ている服だって、散々悩んだ末に決めたものなのだ。  他人の服装なんて、案外いちいち気にした

    • 短編小説『epistaxis』

       眼前に広がるそのひどく凄惨な光景に、彼はただ愕然としていた。撒き散らされた生温かい血で真っ赤に染まった机上。広げてあるノートは、そこに書いてあった文字が読めないほどにたっぷりと鮮血を吸い込んでいる。  後悔。罵倒。叱咤。自責。あらゆる負の念が彼の脳内を駆け巡り、そして同時に気づく。それはもはや何の意味も持たないのだと。  血塗れの光景を前にした彼の思考は、事件の起こった数分前へと遡る。  少年は、机に向かっていた。それは、何ら普段と変わらない光景。机の上にある時計の針は、

      • 短編小説「あんたなんか、死んじゃえ」

         下駄箱を開けると、少し黒ずんだ上履きの中に大きな蜘蛛の死骸が入っていた。私の拳くらいはあるだろうか。  表情には出さなかったものの、さすがにこれには驚く。どうやってこの死骸を上履きに入れたのだろう。自分で蜘蛛を見つけて殺したのだろうか。それとも、どこかで見つけた死骸をわざわざ運んだのだろうか。いずれにしても、私の理解の範疇を超えている。  脱いだばかりのローファーをもう一度履き直し、極力中身を見ないようにして、死骸の入った上履きを外に運ぶ。そのまま、中身だけを校庭の花壇に捨

        • 詩『朝』

          目が覚める。 おかしい。 そこにあったはずのものがない。 でっかい、でっかい防波堤。 ゆらゆら揺れるさざ波にも、荒れ狂う奔流にもびくともしない、でっかい、でっかい防波堤。 凛と澄んだ、凪いだ水面を保つための、でっかい、でっかい防波堤。 朝目が覚めると、それがない。 夜の渦に溶けて消えてしまったみたいに、なんにもない。 どうしよう。 私の凪が、崩れてしまう。 ざわざわと、水面が揺れる。 心にぽっかりと空いた穴を目掛けて、荒れ狂う流れが押し寄せる。 ねえ。 誰か。 誰

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        短編小説『私と彼女の話』

          短編小説『さかさ砂時計』

          『君は、過去に戻りたいのかい?』 『…戻りたい。私は、過去に…!!』 『そうかい。それじゃあ、君にはこれをあげよう。どう使うかは、君次第さ。』 『料金は、後払いで良いからね。』  たまらなく辛くなった時、人は藁にもすがる思いでこう呟くのだろうか。  神様、と。  困った時の神頼みとはまさにこのことだ。普段は神なんてもの信じてもいないくせに、本当にどうしようもなくなった時には都合よく神に縋る。  それは全知全能の神などではなく、単に自分にとって都合の良い神だ。つまり、自分の

          短編小説『さかさ砂時計』

          短編小説『うたたねポトフ』

           ガチャ、と扉を開くと、真っ暗な空間が私を出迎えた。人の気配はなく、そこにはしんとした静けさだけが広がっている。  ただいま、と小さく呟く。もう一年以上暮らしているはずなのに、未だにここが自分の家であることに違和感を覚えてしまう時がある。生活環境が変わるということは、想像していたよりもずっと大きなことだった。答える相手もいないのに、ただいまと律儀に呟いてしまうのも、そのせいなのかもしれない。長い間染み付いた習慣というものは、継ぎ足された数年程度ではそうそう抜けるものではない。

          短編小説『うたたねポトフ』

          短編小説『黒猫日記』

          ○月△日。月曜日。 晴れ、ときどき、黒猫。  マフラーは、していない。  ここ最近の急な冷え込みに、そろそろ持っていかなきゃなとは思っていたのだが、今日も忘れてきてしまった。吹き付けてくる冷気に、私は思わず首を縮める。  やっぱり少し、肌寒い。後悔を引きずりながら、まだかなり遠くにある学校へと向かう歩調を、少しだけ早めた。入学したばかりの頃は大変だったこの長い道のりも、今ではもう慣れたものだ。でも、今日はその長さが少しうらめしかった。  眉をぎゅっと寄せて鼻をすする。すると

          短編小説『黒猫日記』