ブログのあれこれなど
インターネットで知らない人に絡まれると精神攻撃される可能性があるので、私は基本的にTwitterなどの雑なつぶやきツールは鍵垢にしています。
このnoteは唯一、そこそこ使っている上にオープンにしているアカウントです。
以前、不本意なコメントが来たことがあって、普通にイライラしたので削除して相手をブロックしたんですが、どのようなイライラかというと、「文章が読めてないなあ」というものです。
これは別に、自分の文章が読みやすいものであるという驕りではなく、やっぱりブログでもちゃんと読まないのに分かったようなコメント書き込む人がいるんだなと憂いに沈んだ結果の即コメント削除+ブロックです。機嫌悪かったのもあるけど。
ちょっとした文でも読めない人って結構いることはTwitterを見ていれば明らかですが、noteにも割と出現します。
私がそういうコメントをされた時に思ったのは、「ブログとしてはこんなことを書いてるけれど、本当はこう思ってんだろうな〜とか、わざとこういう言い回しにしてるのは本当に言いたいことを隠してるからなんだろうな〜とか、そういう面を読み取って欲しいな」ということです。
これはひとのブログを読んでいるときもそうですが、「そんなこと書いてるけど実際はこう思ってるだろ」とか「この部分は自分に酔って長々と書いてるだけだから雑に読むか……」とか、そういう読み方って割と大事だと思う。
でもこれは自分で色んな文章を書いていくうちに分かってくるようなことなんだろうなとも思うから、そういう風に読んでくれない人がいても仕方ないかとも思う。
結局、結論として「仕方ない」になってしまうのは仕方ないか。仕方ない。
なんとなくそう思っていたらこんなツイートを見かけました。
おい。全部代弁された。
私が言いたいのはこういうことです(´・ω・)っ(他人のツイート)とした方が早いので、やはりこれは、私の話が相手に伝わりにくいだけでは? とも思ってしまうな。仕方ない仕方ない。
以下関係ない話です。
昔、手のひらに鉛筆に芯が刺さって今もそのまま肉体に埋め込まれたままなんだけど、ふとそれを見ようと手のひらを凝視したら、なんと手相が変わっている。
皺が増えている。手の皺が増えてる。こんな分かりやすく成長を実感出来たのは嬉しい。ていうかなんか生命線がめちゃくちゃ伸びてるんです。
具体的には、私の生命線は今まで途中で脱線してて、その先にひょろっと短い線があるだけだったんですが、その脱線してる空白の部分に新たな皺が追加されて、いつの間にか延伸工事してたのか!という感じ。時間換算で30年くらいは寿命伸びてる気がする。すごい。
Twitterとかツイキャスとか、discordで常に友達と繋がっていたい気持ちって、つまり日常を誰かに見て欲しいという気持ちで、それってアニメみたいに、「単なる日常」を見世物にしてしまいたい気持ちなんだろうなと思った。
アニメだと、主人公の孤独な戦いも視聴者がいるから全然孤独じゃないんですが、現実だと孤独な戦いは本当にスポットライトの当たらない孤独なので、寂しくなっちゃうのかな。
自分の人生、誰かに見てほしい、演劇のように観客が欲しい、だからツイートを沢山しちゃうのかもしれない。日常脚色界隈の皆さん。
保つべき自分がない。何があっても私は私、この私だけは譲れない、と言い張るようなものがないから、なにか、そういう自己を持てるように生きていきたいですね。
虎に翼、晩御飯がお菓子と漬物なの良すぎるな
このごろ、ガキを叱咤する夢ばかりみる。
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