丸山圭三郎『言葉とは何か』[20221108]

https://www.amazon.co.jp/dp/4480091459/

本書は言語学研究の第一人者である著者によって書かれた、ソシュールの入門本である。ラング、パロール、ランガージュ、連辞関係、連合関係、シニフィアン、シニフィエ・・・といった、聞いたことはあるけれどよく分かっていないような用語たちが、豊富な例とともに平易に、そして簡潔に説明されている。



話は全く変わる。読書でも運動でもなんでもいい。何かをする際に、「それ」を意識するかしないかで得られる効果が全く変わってくる。

例えば僕は筋トレを日課にしているのだが、よく言われるのは、トレーニング中にトレーニングの対象部位を常に意識しろということだ。マインドマッスルコネクション(筋肉と意識の連結)という言葉がある。トレーニング中にターゲットの筋肉を意識することで、筋肉がより活性化し、より大きな筋肥大をもたらすことが知られている。ダンベルを持って肘を支点に力こぶを伸び縮みさせることは、やれと言われたら何も考えなくてもできる動作である。しかしトレーニングの効果を最大限に引き出したいのならば、動作中、常に力こぶの収縮と伸展を意識しなければならない。そうすることで、外から見たら同じ動作をしているように見えるのに、筋肉を動かしている本人の中では全く別のことが起こるのだ。

意識とは不思議なものである。私たちは目に入っているものではなく、見ようとしたものしか見えないようにできているのだ。

私は何かを意識して自転車に乗っていない。自転車の乗り方は体が覚えているのである。何かをし始めるときはいつも意識することから始まる。それで、最初の方は意識してそれをやっているのだけれど、知らぬ間に体がそれを覚えて、知らぬ間に(意識しないまま)意識しないでそれができるようになる。体がそれを覚えてしまったあとは、それを意識するとかえって動作がぎこちなくなったりやりづらくなったりする。意識するとは、要は動作の手順を言葉に起こすということである。ある一連の動作を体が覚えている状態はおそらく、練習段階(意識している段階)に、言葉では説明できない領域の何かが補完されて、出来上がっている。つまり意識している段階と体が覚えている状態の間は連続的でなくて、飛躍がある。だから、一度それができるようになってしまったあとは、それを自分ができるようにせしめている要素を一つずつ取り出すことはできない。
ここまできて、ん?と。何が書きたかったんだっけ。

そうそう、なぜ急に意識の話になったのかというと、最近、本を読むときに何を意識すべきかを考えていたからだ。すべきといっても、別に正解があるわけではない。好きに本を読めばいいのである。ただ、その本とどう向き合うのか、つまり自らの態度によって、姿勢によって、同じ文字列が全く異なる様相を呈してくることは意識しなければならない。

僕は今この記事を、締切ギリギリで書いている。書き始めてからもう30分が経とうとしている。いやぁ、時間が経つのが早いな。ランニングマシンの上で走っている30分はあんなにも長いのに。

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