橋爪大三郎『はじめての構造主義』[20220220]

読み終わって気づいたが、1988年に書かれた本だった。確かにフランスでの構造主義最盛期は1950~60年代だし、ポスト構造主義の登場も1970年代であることを考えると、そんなもんか。構造主義は現代思想を語る上でのキーワードであることは間違いないけれども、まあ古い。著者が大学生になった時期、ちょうど1960年代に入った頃に日本では構造主義ブームだったらしい。現代思想が日本に入ってくるときはいつもフランスからの直輸入と相場が決まっていたようで、構造主義もそれに漏れない。

本書はレヴィ・ストロースに的を絞って解説しているが、構造主義者と言われる人物は他にもいる。フーコー、アルチュセール、バルト、ラカン、デリダなど、どれも高校の倫理の教科書で見たことのある名前ばかりである。これに加えて、構造主義を理解するためには人類学、ソシュール言語学や記号論、数学を含む膨大な知識が要求される。必要となる知識が多いのは、西洋の哲学が前時代の哲学に対するカウンターである(だから、新しい思想を理解するためにはそれまでの思想の流れを理解する必要がある)ことに加えて、構造主義の性質によるところが大きい。

構造主義の性質とは、表面上の違いを無視して、抽象的な「構造」を抜き出して比較するというその方法である。実際にレヴィ・ストロースが自身の思想を展開するにあたって数学の「構造」を用いたり、言語学における音素の研究を応用したりしている。

レヴィ・ストロースは、アマゾン川流域の先住民族たちの調査を通じて、未開民族の神話や習俗に極めて精巧で論理的な思考が働いていることを発見し、それを「野生の思考」と呼んだ(例えばある先住民族の婚姻の規則は、抽象数学の「群」の構造と完全に一致する。)。西欧中心主義への批判。ヨーロッパ文明、謙虚になれよということである。

主体を消すという点だけを見て、構造主義を「反人間主義」だと批判する動きがある(あった)ようだが、実際は逆である。ここで言う人間主義とは、人間が互いに尊重しあって共同体をつくる、というような意味合いだ。主体の消失によって自文化の相対化が可能となる。自分と相手の区別をなくすことで互いに対等な人間だと認め合うことができる。こう考えると、構造主義が、非常に「人間主義み」のある思想に見えてこないだろうか。

構造主義関連の思想家や、今回は扱えなかったポスト構造主義については今後も少しずつ勉強していこうと思っている。構造主義は確かに古いが、決して廃れたわけではない(と私は思っている)。

ちなみに構造主義者のレヴィ・ストロースとジーンズメーカーのリーバイ・ストラウスは、綴りがどちらも LEVI STRAUSS で同じだが、両者は全く関係ない。



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