今日、帰り道に涙が止まらなかった
ふと、涙が出てきて、止まらなかった。
辛くて、辛くて、どうしようもなくて、涙が止まらなくなる。
こんな経験、ありますか?
私はまさに、今日の夜がそうだった。
もう、ちっとも若くない。
みんなはステージを変えて生きているのに、自分はまだ二十歳になったばかりのあの日のように、泣いていた。
今日も仕事が上手くいかなかった。
そんな日もあるよねって言う人の中で、どれくらいの人が、苦しみに溺れて消えたくなるんだろうか。
もちろん、これは自分の性質が原因だ。
もしくは脳のバグだ。
知っているのに、息苦しさが止まらない。
窒息してしまいそうだった。
子どもの頃は無条件に、大人になったら泣かずに生きていられるって信じていた。大人として生きなくちゃいけないのに、まだ宙ぶらりんのままでいるようだ。
そんな私の、今日の息苦しさの原因は、仕事だ。
できなくて、足りなさを思い知らされて、心から血が大量に溢れ出ているようだった。
心が可視化されたら、相手に伝わるのにね。
そんなことはないから、何にもないように細心の注意を払って、それでも私は今日も笑っていた。
仕事のせいで生きているのが苦しいのに、仕事をそれでも続けるのは正しいのか。そう思う人だって、少なくないだろう。
わかるよ、正しくないよね。
でも、でも、それでもさって、私は思うのだ。
簡単に辞められるものの重さを、仕事はしていない。
それでも頑張らなくちゃって思っている心は、どうなるんだろうとも思うのだ。
あとね、辞めたって、苦しいのはきっと変わらないことを、私は知っている。
今はできない自分を責め立てているけれど、次は頑張れなかった自分を責め立てるだろう。
この原因は、自分を認められないことにあると思う。
苦しいのはいつだって自己との戦いに負けているからだ。
この正体が何なのかって言えば、自己肯定感の低さに繋がるのだろう。
——なんて、そんなことを考えたとしても、今日も私は自己との境界線の戦いでは敗北者で、自己肯定感を得られていない。
いつか、いつの日か、自分が認められればいいなと夢想する。
私が私を抱きしめて、「そんな私だって、いいじゃん!」って、笑えたら、どんなにいいんだろう。
そんな日はまだまだ来ないだろうけれども、私はその日を夢見て、明日も生きてみようかなって思うんです。
泣いたっていいじゃん、生きているんだから。
少なくとも、私はそう思う。
自分を認められなくても、何度負けても、まだ見ぬ未来を夢見て、私は眠りにつこうと思う。
お疲れ様、また明日。
願わくば、未来がもっと優しいものでありますように。
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