宮城に行きたい

止むことなく我が身に飛んでくる水しぶきに僕は顔をしかめていた。なんでおじさんはあんなに派手に水風呂の水をかぶるのだろう。バシャバシャと音を立てておじさんは頭から水をかぶり気持ちよさそうにしている。その一方で飛び跳ねる水しぶきは僕の気分を悪くさせていく。もっとしぶきが飛ばないようにそっと水をかぶったらいいじゃないか。僕はいつもそうしている。銭湯は見ず知らずの人たちの集まりである。そんなところでそうやって周囲のことを何も考えずにガサツな行動をしたらどうなるのか。答えは明白で周りの誰かが不愉快な気持ちになる。僕はいつだってこの「周りの誰か」の役回りを演じる星の下に産まれてしまったようで、現に今もおじさんのまき散らす水しぶきでせっかくのサウナの気持ちよさも吹き飛んでしまっていた。
ひとしきり水をまき散らして満足した体のおじさんは水風呂に勢いよく入って頭まで潜っていた。手に持っていたタオルもしっかり水風呂につけている。銭湯におけるマナー違反のロイヤルストレートフラッシュを華麗に決めたおじさんの表情はとても清々しいものだった。

どうにか頭の中からおじさんの存在を消し去り、気を取り直して僕はサウナへと入っていった。サウナのドアを開けた途端に飛びこんでくるのは、若い連中のしゃべくり散らす声、声、声…。
僕は仕事帰りだった。最近はハードな仕事が続いていて、身体がもうてんやわんやなことになってしまっていたのだ。だから少しだけでも休らいだ時間を過ごしたい、そんな極小な夢を持って僕はサウナに来ていたのだ。
夢は壊れました。ちっぽけな夢は音を立てて崩れ落ちていきました。
「もう10分入ってるよお。ヤバくね、俺らマジヤバくね?」
とテンションをあげる茶髪ガキ。
「ああ俺もう無理。マジ無理。ぜってー無理」
とはしゃぎながら無理を連呼するヒョロガキ。
「まだイケるっしょ。オレ、マジよゆーだから。マジで」
と顔を真っ赤にしながら強がるぽっちゃり。
僕はサウナの室内では目を閉じて自分の世界に入りこむのが常だ。サウナの中にいる、そういう束の間の時間が僕にとっては唯一の心休まる時なのだ。ガキの口からほとばしる知性を感じさせない言葉の数々は、僕をせっかく入った自分の世界から否応なく引きずりだす。
ため息をつきながら僕はサウナを出た。だいそれた望みを抱いていたわけじゃない。ただほんの少しの間だけ、日頃の疲れを癒やしたかっただけだ。そんな夢さえ叶うことも許されないのだろうか。

脱衣場へ行き自分のロッカーを開けると、すぐ横にいたリーマンが当然のようにスマホで何かを観ていた。脱衣場でスマホ、一発で役満である。さすがにそこまでやりたい放題をするヤカラには僕も声をかけざるを得ない。
「あの…すいません。脱衣場でスマホはダメなんじゃないですかね?」
心中は怒りに沸騰していたが、そこは僕も一応は社会人、角が立たないように丁寧に諭すように細心の注意を払ってたしなめたつもりだった。
リーマンは僕の細心の注意を払って発した声を完全に無視し、あいも変わらずスマホを見続けた。
本来であれば奇声を挙げながら鈍器のようなものを振り回してヤツの後頭部を粉砕してもいい場面だろう。だが僕はこらえた。グッとこらえ、もう一度同じ文言でリーマンに注意を促した。
「チッ」
リーマンは舌打ちして僕を睨みつけるとダルそうなオーラを発散させつつスマホをロッカーに音を立てて放り込んだ。
僕はリーマンを見ないようにして服を着、髪を乾かそうとドライヤーの置いてある鏡台の方へ向かった。鏡台のイスは満席だった。すぐ近くに髪がボトボトの状態で物欲しげな顔をした僕が立っていたら「あ、待たせちゃってるな。急がないと」
と気をつかわせてしまうかもしれない。僕はそう思って彼らから少し離れたところでドライヤーが空くのを待っていた。
ぼんやりすること数分、ドライヤーは空かない。
さらに呆けること数分、ドライヤーはまだどこも空かない。
おかしいな、と鏡台を見やるとさらにおかしいことに気づいた。鏡台のイスに座っていたにーちゃんたちは誰もドライヤーを使っていないのだ。では何をしていたかというと、顔に何やらクリーム的なものを塗りたくり、鏡に映るクリームでテカテカした顔をしげしげと眺めてうっとりするなどの愚行を繰り広げていた。そうしてそいつらがどかないもんだから僕の髪はいつまでもびしょ濡れのまんまだ。僕はこんな奴らに「気をつかわせたら悪いな」と気をつかってしまっていたのだ。
悔しさに打ち震えていると、鏡台占領メンバーのうちの僕の近くにいた1人がようやく満足したのだろうか、立ち上がって席を空けてくれた。
やっと…やっと髪を乾かせる。そう思って僕が空いた席に歩き出した時だ。僕の横から若いやつがシュシュッと敏捷な動きで空いた席を占拠してしまったのだ。そいつはいかにもオタクといった風貌だった。鈍重な動きしかできなさそうだし周囲からはさぞかしボンクラ扱いされている男なんだろうな、という印象を抱かせる男だ。そんなヤツが普段は絶対にしないであろう鋭敏な動きで横入りをかましたのだ。万死に値すると言っていいだろう。
それからずっと僕は待ち続けた。濡れネズミのままだったが、僕の心は砂漠のように乾ききっていた。



銭湯を出て僕は夜空を見上げた。
昼間からかかっていた雲は夜になっても晴れることなく、どんよりと空を覆っていた。星も1つも見えなかった。
東京には空がない。ほんとの空が見たい。ほんとの空はどこにあるのだろうか。東京ではないどこか、1人でほんとの空を眺めたい。心の底から僕は思った。

ということで僕は宮城に行くことにした。この話の流れなら安達太良山に行けよ、と思われる方もいるかもしれない。まあそれはそうなんだが、別に智恵子抄ツアーをしたいわけじゃない。とにかく独りで東京ではないどこかに行きたいのだ。
じゃあなんで安達太良山よりはるか上にある宮城まで行かなきゃなんねえんだよバカか、と僕を罵倒する方もいるかもしれない。
僕が東京に空がないと気づいたきっかけが先述のように銭湯でのごちゃごちゃである。そして元々は癒されたくて仕方なかったから銭湯に行ったのだ。今の僕には癒やしが必要なのだ。宮城にはそれがある。



そう、ベホマズンである。
もう僕はクタクタにくたびれている。ホイミやベホイミではこのクタクタはどうにもできない。もはやベホマズンしかない。ベホマズン以外に選択肢はない。だから僕は宮城に行かなければならない。東京から離れたところで独りこのべほまずんだ餅をむさぼり食うことでしか僕の疲れを癒やすことなどできない。


ということで、宮城に行ってきます。

しかし、問題が生じてしまった。そう。お金だ。お金がなければベホマズンができない。そして僕にはお金がない。するとどうなるか。僕はベホマズンもできずに銭湯でイライラし続ける人生を送ることになる。

お金さえあれば僕は宮城でベホマズンを喰らってこの先も朗らかに生きていけるだろう。だが無い袖は振れない。だから皆様にお願いです。私のかわりにどうか、皆様が袖を振っていただけないでしょうか。僕にはベホマズンが必要なんです。皆様のお恵みが必要なのです。お金をください。お願いだからお金をください。下のサポートというところからお金をください。よろしくお願いいたします。


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