嫌な買い物

何屋なのかは誰も知らないが、変なメガネをかけて「俺は何でも知っている」みたいな風で世の中の物事をいろいろ語る人がSNS上で炎上していると聞いた。そいつの発する言葉はおおよそありきたりの新自由主義(といえばまだ聞こえはいいがただの優生思想)であって、なんなら百年以上前からある古びた言説であり聞く価値などこれっぽっちもないのだが、どういうわけか一部のメディアではそのヘンテコメガネは重用されている。彼を支持すると表明するだけでも「私は救いがたいバカです」と大声で叫んでいるのに等しいと見なされるし(少なくとも俺はそう見なす)、それはもはや社会的な自殺と言ってもいい行為に思える。そんな彼をなんでか広告に起用した飲料メーカーがその人権感覚などを問われ、「キリン不買運動」みたいなのが起きる事態に発展している。
僕も当然成田悠輔なんて唾棄すべきゴミだと思っているし、今回の件でキリンの製品も二度と買いたくないと思った。もとより貧民なのでそうそうキリンが出しているような嗜好品を買うことはほぼないにせよ、何か飲み物を買う機会があってもキリンは絶対に避けるつもりでいる。

彼の一連の言葉、集団自決がどうのこうの、そういう文章には過去に飽きるほど接してきた。法学でも文学でもなんでも、文系の学問を勉強しているとそういう優生思想はいつかぶつかる場所なのだ。例をあげると、『生きるに値しない生命の殺害の解禁』なんておどろおどろしいタイトルの論文を翻訳して要約したやつなんかも大学在籍時に読まされたものだ。これはWW2の前にドイツの刑法学者が書いた論文で、後の大虐殺に直結する文献だ。これを読んだ上でその一字一句について細かく対抗言論を考えていく、そんな授業があったのだ。優生思想なんて他にもありとあらゆる角度から否定されまくっている考え方だ。そんな遺物をものすごい雑な形でフランクにヘラヘラ笑いながら肯定的に喋っていた驚くべきバカ、それが成田悠輔という男だ。
優生思想と一口に言っても、それを正当化する論理というのが存在する。そしてそれはめちゃくちゃ頭のいい人が緻密に組み立てた論理だ。そんなのを打ち崩していく作業というのは困難を極める。だが成田の発した言葉はそんな大層なものじゃない。論理もへったくれもない、ただの戯言だった。優生思想の表面をなぞっただけの、思想と呼ぶのもおこがましい幼稚な思いつきでしかなかった。端的に言えば、バカだった。人間を辞めたのかと見紛うばかりのバカだった。こんなのを広告に起用するキリンはどうかしているとしか思えない。炎上するのは当然の結果だと思うし、もういっそのことこんな企業は燃え尽きて社会から退場してしまえばいいとさえ思っている。


成田もキリンもどうでもいいのだが、1つ問題が生じている。
僕はブックオフによく行く。よく行って本を買う。新刊本を買うお金がないからブックオフに行かざるを得ないというのが正直なところなのだが、ブックオフにちょくちょく並んでいるのだ。成田の本が。
世の中を無駄に騒がせている人間の本。それは読んでみなくてはならない。僕はなんでだかいつもそう考えてしまう。成田に関しても同様だ。あのような煽情的な言論にはちゃんと対抗言論を用意しておかなければならない。そのためには読まなくてはいけない。そんな理屈だ。
同じような理由で過去に百田尚樹の『日本国紀』なんてのも買って読んだことがある。他にも堀江やら箕輪やら韓鶴子、大川隆法の本なんかも読んでいる。だったら今回も同じ行動を取らなくてはいけないような気がしてしまったのだ。

そして実を言うと、そういう社会に害悪しか持たらさない毒本枠として認定し「いつかは読まなくては」と思って買ったはいいものの積んだままになっている本が他にもたくさんある。だって読みたくないのだ。絶対に読みたくない、という理由から買ったものだ。いくら時間があってもなかなか読もうという気にはなれない。なれるわけがない。当然、どんどんその手の毒本は手に取られないまま積み上がっていく。
家にうず高く積まれている毒本の塔にまた1冊のゴミが加わること、それはとても悲しいことである。僕の家の本棚はすっかりぐちゃぐちゃだ。悲しくはあるが、僕はいずれ近いうちにブックオフに出かけ、苦い顔をして成田本を買ってくるつもりでいる。

さて、そこでいつもの問題が生じる。
そう、お金の話だ。
ただでさえお金がないのに僕はまた無駄遣いをしようとしている。無駄遣いの中でも真に迫ったマジな無駄遣いだ。とても辛く悲しい。
だから皆様におかれましては是非とも私にお金を恵んでいただきたい。どうかどうか、お金を恵んでください。お願いします。お金をください。下のサポートというところからお金を恵んでください。よろしくお願いします。


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