仙台散歩 リラックマとカオルさん

仙台から夜行バスに乗って帰ってきたその日、とりあえずすぐさま一眠りをキメこみ昼過ぎに起きてきた後すぐに僕はテレビにかじりつく次第となった。何を観ていたのかというと、Netflixで配信している『リラックマとカオルさん』というストップモーションアニメである。

そもそも僕が何故、東京から一時脱出するにあたって「仙台」という場所を選んだかと言うとドラクエウォークのコラボ商品が仙台で売っているからだったのだが、それだけではない。仙台駅からほど近い場所で「サンエックス90周年 うちのコたちの大展覧会」なる催しをやってるという情報を仕入れたからでもある。この展示、実は普通に東京でもやっていた。だから本来はわざわざ仙台でやってる方に遠征しなくてもよいのだが、僕の情報を仕入れるアンテナにこの展示の情報が引っかかった時点ですでに東京での開催期間は終わっていた。
「ああああんもおおおっっ!!」
と地団駄を踏んでも覆水は盆に帰らない。涙を飲んで諦めるしかなかった。だが、「仙台に行こう」と決めてから「どれどれ、仙台にはどんな観光スポットがあるのかな」と検索していたら自分が仙台に行くタイミングでサンエックス展をやっていることに気がついた。覆水が盆に帰った。逃した魚はいつだって大きいものだが、そのお魚がまた自分のところに飛び込んできたのだ。これはテンションも鰻のぼる。元々の目的であるドラクエウォークを凌駕する勢いでサンエックスの比重が僕の中で膨らんでいった。

サンエックスといえば、たれパンダやリラックマ、すみっコぐらしなどのキャラクターを生みだした会社である。数年前から僕はすみっコぐらしにハマりにハマり、身の回りのすべてをすみっコぐらしグッズで固めたいという願望を抱いて生きてきた。30も半ばを過ぎた成人男性としてその生き方はどうなのか、と思わないこともなくはないが抱いてしまった願望はどうしようもない。だいたい、簡単に捨てられる願望なんてそんなつまんないもんを願望とは呼ばない。そうして僕はすみっコぐらしグッズに囲まれ、家でもどこにいてもすぐにすみっコに行ってうずくまり「ここがおちつくんです」などとブツブツ呟く大人に成り果てた。人からどう思われようが落ち着いてしまうのだからやっぱりどうしようもない。
そんな僕がすみっコぐらしを生みだしたサンエックス様の展示を観に行くのは当然のことである。僕はいつだってすみっコちゃんたちに会いたいのだ。

すみっコぐらしの絵柄の入ったマスクを付け、ガチな人みたいになった僕は狂気をはらんだ血走った目でサンエックス展の受付へと向かった。
「大人1名、お願いします」
周りにいるのはカップルや親子連れが多かったように思う。そんな中を1人で突入するのは本来なら気が引けることなのだろう。しかし僕は気が狂っているので頓着しない。受付のお姉さんはそんなヤバい人を見ても狼狽えもせずに通常通りにチケットをくれた。意外と僕みたいなやつも多いのかもしれない。
中の様子はあえて書かない。こんなのは文章で書けば書くほど伝わらなくなることくらいは知っているからだ。ただ1つ書くとするなら、あの癒やされ具合ははっきりと常軌を逸していたということだ。とても合法とは思えない圧倒的な癒やしの前に僕はもはやとろけていた。半分液体となりながら「はあああん、あああん」とため息とも喘ぎ声ともつかない不快な音声を発しながら約2時間ほど展示を見て回っていた。
この展示を観て知ったのが先ほど書いた『リラックマとカオルさん』というアニメの存在である。僕はすみっコぐらし信者ではあったものの、他のキャラクターだって知れば知るほどに好きになっていく。
「おお、そんなんあったんか。帰ったら観なくては」
と頭に叩き込んで会場の外に出た。会場を出てすぐのところにあったのは「物販コーナー」である。僕は目をしっかりとつぶり、ブツブツと般若心経を唱えながらそこをスルーした。その時の財布の紐の緩み具合からして、こんな奇行に走らなければ全財産をはたいていた可能性もある。展示の外でやってる物販はすべからく恐ろしい。

昼過ぎから『リラックマとカオルさん』の視聴をはじめ、気がついた時にはもう日付が変わる寸前の時間になっていた。『リラックマとカオルさん』は1話10分少しのストーリーで全部で13話のものだ。10×13で全部観ても2時間少しである。昼過ぎに観はじめて夜の12時になるなどどう考えてもおかしい。しかし実際にそうなってしまっていた。何故こんなことになったのかと言うと、繰り返して3回観たからだ。その3回の合間に続編である『リラックマと遊園地』(これも1話10分ちょっと)を全部観たのだ。これだけ観ればそれは時間も過ぎようというものだ。
地味で真面目な会社員のカオルさんと、カオルさんの飼ってるキイロイトリ、そしていつの間にか居着いたリラックマとコリラックマの日常がもう延々観ていられるぐらい心地よいのだ。カオルさんはいろいろあってしょっちゅうネガティブにもなるし、それでクマたちもいろいろあるのでどちらかと言うとほろ苦いテイストの話ばかりなのだが暗くなりすぎることもない。1話の最後でカオルさんが寝転びながら言った一言「まあ、いっか」、この言葉が全話を貫いている。勢いあまって予告編まで何度も観ているのだが「がんばる、を忘れる10分間」というコピーがこの作品に付けられている。がんばるを忘れたいあまりに東京から短期の逃走をしていた僕がハマらないわけがない作品なのだ。
この日以来、幾度となく観てしまっている。1話が短いから隙間時間で観れてしまうのだ。アルバイト帰りのリラックマが俯きながら塀をどんどんしている場面は何度観ても泣いてしまう。コリラックマが橋の下のおじさんにお団子をあげる場面がいい子すぎて身悶えしてしまう。キイロイトリがバイト先で褒められて照れてる場面でニコニコしてしまう。ここ何日かはカオルさんの「行ってきます」「ただいま」を聞くだけでほっこりしすぎて目に涙が滲むようになってしまった。

がんばる、を忘れたい。がんばりたくない。
もうずいぶん前からそんなことばかり考えてる気がする。こんなことを言えば「お前なんかたいしてがんばってないだろ」みたいに言われそうだからなかなか口に出せないけど、もうがんばれない。すっかりくたびれてしまった。がんばれない中を、どうにかこうにか無理をしてがんばって生きている。
これはきっと、自分だけじゃない。世の中のほとんどの人は同じようなものだと思う。なのに、やっぱり誰も「がんばる、を忘れたい」なんて口に出せない。そうしてみんな、無理をしながら生きている。
大人なんてそんなもんだから、と言われればもう口をつぐむしかない。そんなわがままを言うな、と言われても口をつぐむしかない。でも誰だって本音は同じはずだ。がんばる、を忘れたい。
東京に戻ってきてしまってからは普通に日常が続いている。本当は毎日、松島の海を眺めながらビールでも飲んで暮らしていきたいがそうもいかない。無理をしながら頑張って生きていく。そんな日常の中でちょっとくらい「がんばる、を忘れる」時間があってもいいはずだ。僕は多分、これからも部屋のすみっコで落ちつきながら『リラックマとカオルさん』を何度も観ることになると思う。

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