明智弥平次≠明智左馬助別人説
1.通説(同一人物説)
三宅(明智)弥平次と明智左馬助は同一人物で、明智光秀の叔父・明智光安の子である。
弘治2年(1556年)9月26日の明智長山城の落城の際に自害した明智光安は、子・岩千代(後の明智光春)を明智光秀に託したという。明智長山城からの脱出に成功した明智光秀一行は、桂郷谷汲村に住む叔父・山岸光信(実は明智光秀の父・明智光綱の弟で、山岸家に養子に出された)を頼り、明智光秀は、妻子や甥・岩千代を山岸光信に預け、越前国(一説に京都)へ向かったという。
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