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藤原実資の日記『小右記』にみる永観2年の五節(史実)と『光る君へ』の永観2年の五節(創作)


 「五節」という舞は、天武天皇が始めたそうです。
 大海人皇子(後の天武天皇)が、夕方、吉野離宮で琴を弾くと、突然、雲が湧き、雲の中から1人の天女(上の絵では、なぜか2人)が舞い降りて、歌いながら袖を5回振ったそうです。(ドラマでは、振ったのは2回?)

乙女ども(袖振①)乙女さびすも(袖振②)唐玉を(袖振③)袂に巻きて(袖振⓸)乙女さびすも(袖振⑤)

 暗かったのですが、袂に巻いた唐玉「豊明」が光っていたので、手の動きはよく分かったそうです。
 この後、「壬申の乱」が起こり、大海人皇子は勝利し、天皇になれたので、
「あれは吉兆だったのか!」
と、自ら舞ったそうです。

 その後、舞姫たちが舞うことになりました。

<「五節」(陰暦11月)の日程>

丑日 帳台の試(常寧殿でのリハーサル)
寅日 淵酔(えんずい)。諷詠乱舞。御前の試(リハーサル)。
卯日 新嘗祭、飲宴、童女御覧、小忌(おみ)、等。
辰日 豊明節会(とよあかりのせちえ。宴)。五節(本番)。

<永観2年の「五節」>

  9月28日   五節定(「五節」の舞姫の決定)
11月19日乙丑 五節の舞姫が参入してリハ。天皇、五節の舞姫を覗き見。
11月20日丙寅 五節御前試(天皇の前でリハ)
11月21日丁卯 新嘗祭。天皇、采女を覗き見。
11月22日戊辰 豊明節会(亥四つ刻(22:30~23:00)に「五節」)

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