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【大工道具】曲尺(2)


Courtesy Museum of Fine Arts,Boston(ボストン美術館。略称「MFA」)の「伏羲・女媧図」

An ancient Chinese creation image showing the intertwined double helix,representing an interaction of opposites,resulting in the Creation.Constellation images are behind the creator gods.
(絡み合った二重螺旋を示す古代中国の天地創造図。対照的なものの相互作用が、結果的に天地創造をもたらした。星座図は、創造主である神々の背後にある。)

 古代中国の神話に登場する男神・伏羲(ふくぎ、ふっき、ふぎ、宓羲、庖犧、包犧、伏戯、伏義、伏儀)と女神・女媧(じょか)の兄妹は、蛇身人首の姿で描かれることがある。

 ある時、世界的規模の大洪水が発生し、地上の人類は滅亡したが、この兄妹は瓢箪の中に逃れて危機を免れた(『旧約聖書』のノアの箱舟伝説、ギルガメッシュ叙事詩)。
 この「宇宙の設計者」である男女神は、大洪水で平地となった地上を再創造した。無造作に山や川を配置したのではなく、ある意図を持って計画的に配置したといい、伏羲のアトリビュート(attribute。持物(じもつ、じぶつ))が曲尺(さしがね)、女媧のアトリビュートが円規(えんき、コンパス)であることは、実に象徴的である。

※「我國出土的很多伏羲女媧圖中、為什麼 兩人手拿曲尺和圓規?」
(伏羲と女媧が曲尺とコンパスを持つ理由)
https://kknews.cc/culture/qbax85o.html

 2人が成人すると、兄・伏羲は、妹・女媧に結婚を申し込んだ。妹・女媧は、断りかねて、
「私を追いかけて捕まえることができたらOK」
と答えた。2人は大木の回りを走り回ったが、兄・伏羲は、妹・女媧に追いつけなかった。そこで兄・伏羲は立ち止まり、逆に回って妹を捕まえた。
こうして2人は結婚した。子が生まれたが、それは肉塊だった。その時、風が吹き、肉が飛び散って人間になった。こうして2人は「人類の始祖」となった。(『旧約聖書』のアダムとイブ。イザナキ(伊邪那岐命)&イザナミ(伊邪那美命)は、「天の御柱」をたて、柱の回りをイザナキは左から、イザナミは右から柱を廻り、出会って子を儲けた。しかし、出会った時に、女神・イザナミから先に男神・イザナキに声をかけた事が原因で、肉塊「蛭子(ひるこ。えびす)」が生まれたので、海に流した。)

※厳紹璗「記紀神話における二神創世の形態」
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/CB/0007/CB00070L001.pdf

※昨日の記事「【大工道具】曲尺」で、曲尺の裏目を「日本人の発明」としたが、建設技術研究所の須股孝信氏は、「漢代に銅斛尺23.1cmの1.273倍29.4cmの裏目盛りを刻んだ曲尺が作られ、日本に渡来して木工や測量等に使用されたと考えられる」としている。

■須股孝信氏の『土木史研究』への投稿論文
畿内の遺構配置にみる古代の土木技術(その1)― 都市計画基本線の存在 ―
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1990/10/0/10_0_307/_pdf/-char/ja
畿内の遺構配置にみる古代の土木技術(その2)― 都市計画基本線の検証 ―
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1990/11/0/11_0_269/_pdf/-char/ja
畿内の遺構配置にみる古代の土木技術(その3)― 古代の使用尺度に関する考察 ―
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalhs1990/12/0/12_0_131/_pdf/-char/ja
■(その3)概要
(その2)では、古代の畿内に設けられた基本線(都市計画基本線の呼称)について考察し、4世紀の頃、尺度29.4cmを使用して設定された可能性が強いことを示した。本稿は29.4cm尺の起源を明らかにするため、古代の度量衡と尺度を概観し、方円図に着目して検討を加えた。
 方円図から求められる方と円両者の周長比、面積比は共に1.273で、この比率を持つ尺を作れば円直径の測定によって円周、円面積を容場に求め得る。古代中国の天円地方の観念、円と方の関係究明を目指した古代の幾何学、規矩準縄の技術を開発した魯班伝説、後漢「武氏祠石室」の画像石にみられる天地創造神、女媧と伏義が手に持つコンパスと曲尺のレリーフ等から、1.273倍尺の原理と応用を周代に魯班が考案し、漢代に銅斛尺23.1cmの1.273倍29.4cmの裏目盛りを刻んだ曲尺が作られ、日本に渡来して木工や測量等に使用されたと考え、曲尺の補助目盛りと京間の寸法から、それらが小尺・大尺として存在したことを示した。また7~8世紀造営の畿内の都宮位置の選定には、遺構の造営尺と同じく29.3~29.9cm尺が使用されたことを明らかにし、畿内地図作成を意図して18里方格網が設定された可能性があることを示した。


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