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「あゆち潟」-県名の由来-

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かた
①【潟】遠浅の海岸で満潮の時は隠れ、潮が引くと現れる所。潮干潟(しおひがた)、干潟(ひがた)。(潮干狩りには最適な場所!)
②【潟】外海と分離してできた湖や沼。特に、砂州やサンゴ礁により外海から隔てられた水深の浅い水域を潟湖(ラグーン)という。

 「愛知県」の由来である尾張国愛知郡の「年魚市(あゆち)がた」の「かた」は、「潟」だが、「県(あがた)の短縮形」とする説もある。「ゆちがた」では「あ」が連続して言いにくいのだという。
 「あがた【県】」は、国造による国制に先行して、県主 (あがたぬし)が統治した区域で、史料がなく、どこにあったか、いくつあったかは(大和国以外は)不明である。

あいちの地名の由来
 「あいち」の地名は、万葉集巻三の高市黒人の歌「桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る」に詠まれている、「年魚市潟(あゆちがた)」の「あゆち」が「あいち」に転じたと言われています。
 廃藩置県後、県庁が愛知郡の名古屋城内に置かれたところから県名に採用されました。
http://www.pref.aichi.jp/soshiki/koho/0000007714.html

 高市黒人の歌だと、年魚市潟(あゆちがた)は干潟であるが、浅くては船が通れないので、海人族は住み着かない。彼らは良港がない場所には住まない。
 上の地図で、
・熱田神宮は熱田台地の先端にあった。
・愛智郡成海郷火上(氷上)村の「寝覚の里」は海岸にあった。
は賛成であるが・・・

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 多分、熱田と火上の間に松姤島(「島」ではなく「瀬」?)があり、島の南北端は狭い海(瀬戸、水道、海峡)で、海水の出入りが激しく、深くなっていて、伊勢湾と船の出入りが可能になっていたのではないかと思います。でなければ(港がなければ)海人族は住まないはず。
 まぁ、川が流れ込んでいるので、水脈(みお。水の通り路(川の水の伊勢湾への流出路)。深くて舟が通ることが出来る)はあったかと。

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 サークルに「あゆちがた」の写真をアップしました。
 サークルはポートレート好きな人たちのたまり場で、写真にはハートも、モザイクもありません(笑)。

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