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最近感動した事

「感動」と言っても、

外出禁止の私ですから、

本で読んだ話や、TVで見た話ですが・・・。

『大奥』(第2話)の主人公が、幼少期に発した言葉に、

眼から鱗が落ちました。

子供しか言えない、実に子供らしい発想なのですが、

「この主人公にして、この言葉あり」

と大感激しました。

何の話かというと、

超有名な「公案」(禅問答)の「南泉斬猫(なんせんざんみょう)」です。

「南泉斬猫」については、三島由紀夫が昭和25年(1950年)7月2日未明に起きた「金閣寺放火事件」を題材に書いた『金閣寺』に詳しい解説が載っています。

簡単に書くと、2つの公案からなります。
①寺の僧、総出(といっても、実は1人、外出中)で、草刈りの時、子猫を見つけた。東堂と西堂のどちらで飼うか、修行僧たちがもめた。それを見た住職の南泉和尚は、
「この猫で仏教を説け。説破出来なければ猫を殺す」
という公案を出し、誰も説破出来なかったので、南泉和尚は、猫を草刈り鎌で殺した。
──そもさん。南泉は、どう答えて欲しかったのか? 説破せよ。
②暗くなって、弟子の趙州(じょうしゅう)が寺に帰ってきた。南泉和尚がこの出来事を話すと、趙州は、靴を脱ぎ、頭の上に乗せて出て行った、南泉和尚は、
「あの場にお前がいたなら、猫を殺さずにすんだのに」
と嘆いた。
──そもさん。趙州の行為の意味は? 説破せよ。

公案①は、靴を頭の上に乗せれば説破なのですが、公案②が説破できない。
一休さんなら説破出来ると思うが・・・。ちなみに、趙州は中国禅の最高の僧です。日本で言えば、空海でしょうか。


「南泉斬猫」で思い出すのは、古文の教科書に載っている吉田兼好『徒然草』「神無月のころ」です。

神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ることはべりしに、はるかなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるる懸樋のしづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊、紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、周りをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめて、この木なからましかばとおぼえしか。  

吉田兼好『徒然草』「神無月のころ」

【大意】山里へ行くと、わび、さびを絵にしたような素晴らしい家があった。庭にミカンの木があった。こんな山里にミカンを盗むような者はいないと思うが、ミカンを盗まれないように囲いがしてあったので興ざめした。(   )がなかったらよかったのにと思った。

問① ()の中には何が入るでしょう。
問② なぜそれなんでしょう。

というのは頻出問題ですから、受験生なら解けるでしょう。
問①の答えは、原文を見れば分かるように「ミカンの木」です。
問②の解答例は、「凡人は「囲いがなければ」と思うが、僧である吉田兼好は、ミカンの木があるから、家の主人に、囲いで囲ませたのであるから、根源のミカンの木がなければいいのにと考えた。

 分かりやすくいえば・・・道に財布が落ちていた。警察に届けなかったので逮捕された。盗んだ人が悪いのであるが、人は弱く、惑うもの。財布が落ちてなかったら、その人は、悪事をはたらくことも、逮捕されることもなかったので、「財布が落ちていなければよかったのに」と思ったということです。

──南泉和尚が猫を殺したので、犯人は、金閣寺を焼いたのではないか?

 僧たちの争いの原因となった猫を殺せば、その場は収まる。しかし、根本的な解決になってはいない。寺に猫が迷い込んだら、また同じ問題が起きる。

──山奥の寺に篭って修行する僧は、なぜ猫を飼いたいのか?
──大奥から一生出られない女中たちは、なぜ猫や犬を飼うのか?

寂しいからである。
癒されたいからである。

私が南泉和尚であれば、最初に猫を捕えた者に猫を与えていたと思う。ところが、ところがである。『大奥』の主人公・五十宮倫子の言葉は衝撃的であった。
──この人なら、大奥改革が出来る!!!
とマジで思った。お品もそう思ったに違いない。

さて、まだ子供の五十宮倫子は、何と言ったでしょうか?
答えは↓に書いてあります。読んでね☆

 実際は、五十宮倫子がすごいのではなく、『大奥』の脚本家がすごいんだろうな。


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