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2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(第17回)「助命と宿命」

1.『鎌倉殿の13人』の源義高


「小四郎、お前に任せた。3日やろう。義高を討て」
北条義時は、源頼朝に源義高の殺害を命じられた。
「あれにとってわしは父の仇。義高が生きている限り、枕を高くして眠ることが出来ぬ」

※「清水冠者」:下掲『吾妻鏡』では「志水冠者」。「冠者」とは、元服して冠をつけた男性。要するに、元服して間もない若い男性のことである。元服しているので、諱(実名)があるが、「清水冠者」の諱は、文献によってなぜか異なる。
・「義高」(『吾妻鏡』)
・「義基」(『平家物語(延慶本)』、『尊卑分脈』、狭山市の伝承)
・「義隆」「義守」(『平家物語(長門本)』)
・「義重」(『平家物語(覚一本)』)
・「義衡」(『曽我物語』)
※狭山市で討たれたのは影武者・宇野平八であり、源義高は、佐野基綱を頼って栃木県佐野市岩崎町に落ち延び、そこで岩崎義基(よしたか)と名乗って隠れ住んだという。

 「清水冠者」の父親のフルネームは「木曽源義仲」(「木曽」は名字、「源」は姓)であろうから、「清水冠者」のフルネームは「木曽源義高」だと思われるが、

    木曾源義仲┬長男:源義高(清水(志水)冠者)
         ├次男:源義重(木曾氏の祖?)
         ├三男:源義基(木曾氏の祖?)
         ├四男:源義宗(後の源義茂)
         └五男:源基宗

「木曾氏系図」では、義仲を初代とし、2代を次男・義重、もしくは、三男・義基としており、長男・義高は木曾氏ではないようなので、本記事では「源義高」で統一する。

 源義高は、父・源義仲が討たれたことを知り、源頼朝を恨んだ。しかし、巴御前が持ってきた父・源義仲の手紙には「鎌倉殿を敵と思うな」とあり、巴御前にも「義仲様は申されました。『自分が亡き後、平家討伐を為せるのは、鎌倉殿しかいない。義高様には生きて、源氏の悲願成就を見届けて欲しい』と」と源義仲の思いを伝えられ、「伊豆山権現に逃げて、生き延びる」という選択を決めた。そして、源義高は、女装して大倉御所を脱出した。
 源義高と共に源頼朝を倒そうと考えた武田信義の子・一条忠頼が、源義高のもとへ行き、源義高が逃げたことに気づいた。
「見つけ次第、首を刎ねよ」
と源頼朝は命令した。その時、大姫が「冠者殿がいなくなったら、私も死にます」と小刀(刀子?)を喉に突き立てたので、源頼朝が折れ、源義高を殺さないことを決めた時、
「謀反人・源義高、この藤内光澄が討ち取りました」
と藤内光澄が源義高の首を持って参上した。
「これは天命ぞ」(by 源頼朝)

 ━━恨むなら天?

「断じて許しません」
北条政子が叫んだ。その言葉の意味は、「源義高を殺すように命じた源頼朝を許さない」なのか、「大姫がいる場に首桶を持ってきた藤内光澄の無神経さが許せない」なのか不明であるが、「源義高を殺した藤内光澄が許せない」と解釈され、藤内光澄は固瀬川畔(相模国高座郡に由来する高座川、武蔵国と相模国の国境に由来する境川片瀬川。大庭景親の処刑の地。神奈川県茅ヶ崎市)で処刑された。
「なぜだー」(藤内光澄)
源義高を見つけて、首を刎ね、「ついてる。これで褒美がもらえる」と思ったであろう藤内光澄の宿命は、想定外の死罪であった。そして、北条政子は御台所の発言の重さを感じる事となった。
 また、源義高と共に源頼朝を倒そうと考えた武田信義の子・一条忠頼も(曾我兄弟に「父の仇」と石を投げられていた)工藤祐経らによって粛清され(最後は仁田忠常が背後から斬った)、怖くなった武田信義は、
「お前たちはおかしい。狂っておる」
と言うも、起請文を差し出して鎌倉殿に従うしかなかった。

2.『吾妻鏡』の源義高

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