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『鎌倉殿の13人』(35)「苦い盃」

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──源実朝が飲んだ三三九度の盃
──北条政範が飲んだ毒入りの盃

「治天の君」後鳥羽上皇から「実朝」という名を賜り、征夷大将軍に叙任した源実朝が御台所として迎えたのは、後鳥羽上皇の母・七条院藤原殖子の弟・坊門信清の娘・千世(後鳥羽上皇のいとこ)である。周囲が決めた結婚であり、源実朝は気乗りしない。三三九度の酒は、さぞかし苦かったであろう。

               高倉天皇
                ├後鳥羽天皇(上皇)
  藤原信隆(坊門信隆)┬七条院藤原殖子
                                 └坊門信清┬坊門局(後鳥羽天皇(上皇)後宮)
                                             └坊門千世(源実朝の御台所)

1.北条政範の死亡

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 北条時政&りく夫婦は、北条家の嫡子を北条政範に決めた。北条政範の「坊門千世のお迎え」という名目での上洛は、朝廷への披露も兼ねていたことであろう。

 11月4日、上洛した一行の歓迎会が、京都の平賀朝雅邸で行われた。その席で、畠山重忠の子・畠山重保が亭主・平賀朝雅と言い争ったが、周囲の取りなしで収まったという。

 翌5日、北条政範が病で急死した。北条政範は、上洛の途中で発病し、11月5日の深夜(『吾妻鏡』に子の刻(午前0時頃))、もしくは翌朝(『仲資王記』に卯の刻(午前6時頃))、京都で病死したという。深夜にしろ、早朝にしろ、「歓迎会の翌日」というより、「歓迎会の日の夜」「歓迎会の後」と言ってもいいと思う。

■閑谷法師『閑谷集 (かんこくしゅう)』
元久元年十月の頃、「尊き所なんと拝まん」と思ひ立ちて、同じき霜月の五日、都入り侍りたるに、何となく心騒ぎして、物哀れなるように覚えけるに、頼む人の元へ「何をか侍る」など尋ねたりければ、「今朝の曙に、木高き花、風に散り侍りて、四方の歎き、空に満ちぬる」由、申しをこせたりけるを聞くに、心も心ならずして、夢にだに知らざりける我が身さへ恨めしく覚えて、墨染の袖しほるばかりにて、その夜も明けにけり。懐かしかりし姿、静かに思ひ続くるに、いよいよ悲しく覚えて詠める。
  情けなく散らす風こそ悲しけれ 冬篭る花の姿を

(元久元年(1204年)10月に「聖地などを拝みに行こう」と思い立ち、同年11月5日に京都に入ると、胸騒ぎがしたので、頼む人(京都滞在中の宿泊場所や食事などを提供してくれる人)に「何かあったのか?」と聞くと、「今日の夜明け前に、高木の花が風に散ってしまい(気高い北条政範が急逝してしまい?)皆の嘆きが空に満ちている」と言って来たのを聞くと、気が動転し、夢でさえも知らなかった自分を恨めしく思い、法衣の袖を涙で濡らしていると、夜が明けた。(北条政範の?)懐かしい姿が次々と思い出されて、ますます悲しくなったので詠んだ。
  冬篭る花を情け容赦なく散らした風が悲しい)

※閑谷法師は、牧の方のいとこだという。
https://note.com/sz2020/n/n0ba2f63c8e16

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 『鎌倉殿の13人』では、平賀朝雅(若干23歳)は、源仲章に「鎌倉殿になってもおかしくない」(平賀朝雅は門葉で、源頼朝の猶子)、「(北条政範が死ねば)執権別当になれる」とそそのかされて、毒入りの小瓶(コルクは日本にないから輸入品か?)を渡された。
 この頃の牧りくは、「源実朝を殺害して平賀朝雅を鎌倉殿にし、北条政範を第2代執権にする」という「野望」を抱き、平賀朝雅と組んでいたと思われるので、平賀朝雅が北条政範を殺すはずがない。

 私は、北条政範(若干16歳)は、長旅で体調不調なのに「次期執権様~、次期執権様~」とおだてられて、大量の酒を飲まされ、急性アルコール中毒で亡くなったと思っている。今で言えば、新歓コンパで急性アルコール中毒で亡くなった大学1年生(若干18歳。成人だけど、お酒は飲めない)って感じかと。

2.坊門千世の関東下向


 鎌倉に向かう坊門千世一行は、総勢50名程度だと思われるが、その姿は華麗で、一目見ようと、法勝寺西門大路は牛車で埋まったという。鳥羽上皇は、延勝寺の増円に命じて善勝寺付近(法勝寺の西大路鳥居の西)に桟敷を作らせて見学した。

 『吾妻鏡』には、迎えの武士は、北条政範ら15人とあるが、『明月記』には、20人であるが2人死亡したとある。亡くなったのは、馬助と兵衛尉だという。馬助は北条遠江左馬助政範のことであるが、兵衛尉については不明である。(千葉兵衛尉はこの後も生きている。)

■仲資王(源仲資)『仲資王記』「元久元年(1204年)12月10日」条
十二月十日戊戌、木收、天霽。今日、前大納言(清信卿)女子下向関東。院於善勝寺御見物。御桟敷(松屋)延勝寺執行・増円、造之。御儲事、前大僧正御房御沙汰歟。(後略)
[裏書]十日、辰刻許、鎌倉少將實朝室、前大納言信淸卿女子、下向也。於中山卿三位亭有出立。法勝寺西門大路、人々見物。車、如雲。院御桟敷(松屋)善勝寺之辺云々。其次第、先狩裝束武士十餘騎、次綾藺笠染付蒸垂二騎、次平笠裾濃直垂二騎(已上雜仕、取物之類歟)、次平笠白絹直垂十騎(各著五重色々衣、差貫等、已上女房歟)、次主人輿(当色カ者十八人。輿並カ者、装束、皆、亀甲藤考車文歟)、刑部権大輔仲国、大夫尉秀康已下十余騎(皆、狩装束)、次女房輿四(上﨟女房、乳母之類歟。各力者、装束、紺)、次辛櫃二合(各居台、蒔絵、赤色覆二部織物、当色夫持之)、次少将忠清朝臣(狩装束、相具旱笠引馬等也)、同侍十余人歟。次狩装束武士二、三十騎許、此外、無別事歟。
今日、狩装束武士、並送人々、皆以風流水干也。武士は相具甲冑、弓袋等。

※力者(りきしゃ):公家や武家などに仕えて力仕事に携わった従者。 輿 を担ぎ、馬の口取りをし、長刀を持つなどして供をした。

■藤原定家『明月記』「元久元年(1204年)12月10日」条
十二月十日。天晴。文義来談云。今日、巳時、信清卿娘、下向関東。出立於卿三位岡前家。上皇御桟敷、法勝寺西大路鳥居西、増圓法眼作之。馬助(亡者)、大刀、去比、施与仏師。件大刀以銭三十貫買取。御引出物献之云々。来迎の武士廿人の中、二人死去(馬助、兵衛尉)。其替親能入道子雖加、今一人猶欠。前陣侍九人、各々水干、小袴、行騰無非錦繍。次ヒスマシ二人騎馬、著直垂、小袴。次雑仕二人、袙のつま見、むし笠。次女房六人むし笠、繍指貫。次主人輿力者十六人、著紺(星文)・亀甲袴。次仲国、秀康、其体、如侍。次少将・忠清、私侍十人。次又関東侍十人(前後合十九人)。忠清之先女房輿六、各華麗過差、無物取喩。無非金銀錦繍、泣尋沙塞、出家郷歟。天下経営只在此事云々。見物如堵。(後略)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991253/203

■慈円『愚管抄』
かくて京へかくりきのぼせて、千万御前元服せさせて、「実朝」と云名も京より給はりて、建仁三年十二月八日、やがて将軍宣旨申下して、祖父の北條が世に関東は成て、未だ幼く若き実朝を面に立て過ぎける程に、「将軍が妻に然るべき人の娘あはせらるべし」と云事出きて、信清大納言、院の御外舅、七條院の御弟也。それが娘をほかる中に、十三歳なるをいみじくし立て、関東より武士ども迎えに参らせてる下りけるは元久元年十一月三日也。法勝寺の西の小路に御桟敷、造らせて御覧じけり。その御桟敷は、延勝寺執行・増円法印とありし者ぞ承て造りたりける。

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 坊門千世が鎌倉へ到着した。北条政子らは出迎えるが、自分が生んだ北条政範が先頭で帰ってくることを楽しみにしていた牧りくは、失意のどん底にあり、笑顔で坊門千世を迎えられる心境にはなれなかった。

3.りくの願い

 ──畠山を討って頂戴。(by 牧りく)
 ──なぜ畠山なのか?

 北条時政は、武蔵国支配に邪魔な畠山氏を消すいい機会だと思ったのであろう。この頃の牧りくは「野望」を抱いていたという。

──源実朝を殺害して平賀朝雅を鎌倉殿にし、北条政範を第2代執権にする。

北条政範は、平賀朝雅に毒殺されたので、「野望」の1つは実現できなくなったが、もう1つの「野望」である源実朝の殺害を実現するため、邪魔な畠山氏を消そうとしたという。

■『保暦間記』
此人の妻・牧の女房と申人あり。心たけく憍れる人也。されば重忠は時政の聟也。又、武蔵左衛門佐源朝政朝臣も(平賀四郎義信子)時政の聟也けり。朝政は牧の御方腹のむこ也。畠山は二位殿(尼御台所頼朝後室)義時以下の前腹の聟なるにより、常に不和なりければ、人の讒言も有けるにや、又、牧の女房思立事も有けるにや、重忠は弓箭を取て無双なりし上、殊に当将軍守護の人也ければ、此人を先亡さんと思て重忠がいとこ稲毛三郎入道重成法師を語て讒しけるに、終に事積て武蔵国二俣河にして、元久二年六月廿二日に重忠を討たりける。哀なる事也。

(平賀朝雅の讒言によるのか、牧の方の野望があったのか、畠山重忠は武術の達人な上に、将軍・源実朝の守護者であったので、(平賀朝雅を将軍にするために)この畠山重忠を先ず殺そうと思、畠山重忠の従兄弟・稲毛重成を手なづけ、遂に武蔵国二俣川にて、元久2年6月22日に畠山重忠を討った。哀れなる事である。)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2532209/53

※「武蔵国の支配を巡る畠山氏と北条氏の軋轢」
https://note.com/sz2020/n/nf329dce8e03

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 今、鎌倉を乱しているのは畠山じゃないだろ。
 分かっているよな?
 北条時政&りくだろ?

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