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『熱田神宮異聞』神剣盗難事件①

 天皇家のレガリア「三種の神器」の1つ、「草薙剣」が盗まれたことがあった。
 神職が常駐しない小社のご神体であれば盗めるかもしれないが、常時、人がいる熱田神宮のご神体が2度(もしくは3度)も盗まれるとは、考えにくいし、無事に帰ってきたことは、さらに考えにくい。

 新羅の太子が、道行と名乗って僧に変装し、盗んで新羅へ運ぼうとした草薙剣盗難事件が2度あったとも、3度あったとも。
 この事件のことは、日本国の正史『日本書紀』に、短いながらも、

《天智天皇7年(668年)是歳》
是歳、沙門・道行盗草薙剣、逃向新羅。而中路風雨荒、迷而帰。
「是の歳、沙門・道行、草薙剣を盗みて新羅に逃げ向く。而して中路に雨風荒れ、迷ひて帰る」
(この年、僧・道行が草薙剣を盗んだ。新羅に向かって逃げたが、その路の途中で風雨が荒れ、迷って帰ってきた)

と明記されている。

 道行は、熱田神宮土用殿に置かれていた草薙剣を作らせたレプリカと入れ替え、清雪門(せいせつもん)から出て、本国・新羅に渡ろうとしたが、剣留山東勝寺(愛知県清須市廻間)に至ると、薬師如来の力を借りて、神剣はひとりでに抜け出して熱田社に帰ったという。

 道行は前回よりも長く誦持した後、再び盗んで摂津国より出港したが、海難のため、難波に漂着した(神風が吹いて押し戻された)。道行は神剣を大阪府大阪市「放出(はなてん)」(鶴見区放出東~城東区放出西)で投げ捨て逃げようとしたが、神剣が身から離れず、ついに自首して死罪に処せられたという。

 下掲『尾張國熱田太神宮縁記』では、道行は2度盗み、1度目は伊勢国、2度目は摂津国までしか行ってないが、下掲『雲州樋河上天淵記』『源平盛衰記』(44巻)には3度盗み、3度目は筑紫まで行っているとする。

・以来、清雪門は不開門(あかずのもん)となった。
・八剣宮のご神体の神剣は、道行が作った草薙剣のレプリカだという。
※八剣宮のご神体の神剣(御祭神)については10説以上あり、記事「熱田神宮の御祭神はどなた?」にまとめておいたので、興味ある方はご覧下さい m(_ _)m
◆「熱田神宮の御祭神はどなた?」
https://note.com/sz2020/n/n3a43311cfcf5

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