欠史八代と四国
①神武天皇・・・⑫景行天皇┳日本武尊─⑭仲哀天皇
┗⑬成務天皇 ┣⑮応神天皇
神功皇后
歴史学者は、
・①神武天皇:存在したかもしれない。(崇神天皇と同一人物?)
・②綏靖天皇~⑨開化天皇:存在しない(欠史八代)。
・⓾崇神天皇~⑭仲哀天皇:存在した可能性が高い。
・⑮応神天皇以降:確実に存在した。
としていますが、こう推測する理由は、神武天皇の即位年を紀元前660年としているからであり、『正統竹内文書』のように、
①神武天皇 57年即位(前660年ではない)
②綏靖天皇(欠史八代①) 75年即位
③安寧天皇(欠史八代②) 107年即位
④懿徳天皇(欠史八代③) 124年即位
⑤孝昭天皇(欠史八代④) 140年即位 ※「倭国大乱」勃発
⑥孝安天皇(欠史八代⑤) 157年即位
⑦孝霊天皇(欠史八代⑥) 171年即位
⑧孝元天皇(欠史八代⑦) 186年即位 ※「倭国大乱」終結
⑨開化天皇(欠史八代⑧) 204年即位
⓾崇神天皇 220年即位
・・・
とすれば、問題なく、全員、存在します。
欠史八代の天皇たちの事蹟が書かれていない理由には、
①倭国(九州)の王たちであり、大和政権の王たちではないので省略。
②出雲国(山陰)の王たちであり、大和政権の王たちではないので省略。
③倭国(九州)の大和支部長であり、実績が不明なので書けない。
④欠史八代の天皇たちの時代、朝鮮出兵や、卑弥呼の外交があったが、神武天皇の即位年を紀元前660年とすると、これらの事蹟は紀元前の事となり、中国人も韓国人も誤りに気付く。神武天皇の即位年を紀元前660年とすると、これらの事蹟は神功皇后の時代の出来事となり、欠史八代の天皇たちの事蹟や卑弥呼の事蹟は、神功皇后の事蹟とされた。
と諸説あります。
さて、日本の首都が、
出雲(大国主)→(国譲り)→日向(日向三代)→大和(神武天皇)
と遷都したとして、日向と大和の間に位置する四国の扱いはどうだったのでしょうか?
四国には、欠史八代の天皇たちを祀る神社があり、欠史八代の天皇たちは四国に住んでいたとする説があります!!!
『正統竹内文書』によれば、150~200年の「倭国大乱」とは、大和と吉備王国の戦いであり、大和が負けた時は、四国山地の高地性集落に逃げ込んだそうです。これが、四国に欠史八代の天皇たちを祀る神社がある理由のようにも思われます。(なお、四国山地の高地性集落を邪馬台国とする「邪馬台国=四国山地」説もあります。)
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